現代文 文学史。 現代史学専修 « 京都大学大学院文学研究科・文学部

文学史に詳しい方お願いします。大学受験で文学史が出るのですが詳しい資料が手...

現代文 文学史

この記事はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2013年9月) 日本の近現代文学史(にほんのきんげんだいぶんがくし)では、()と()における、のを述べる。 後、の思想や文化を取り入れるが推進され、にも大きな影響を与えた。 運動もその一つである。 言文一致の結果、のは、それまで日本文学において重きをおかれていたの伝統から切り離され、中期にはの日本語の書き言葉に直接連なる文体(「だ・である」調と、「です・ます」調)が確立した。 という語自体、として創り出されたものであり、この頃に現在一般に使われ私たちが考える文学というが生まれた。 の後、日本語の表記には・化という改革が行われ、全国規模のの発達によって、日本文学にさらに大きな変化がもたらされた。 福澤諭吉 に(1868年 - 1912年)となって以降、の輸入により長い西洋の思想・文学の翻訳と紹介を中心とするが始まった。 の呼びかけで発足したは、をもとに、明治という新社会においての実利主義的主張をした。 これは大衆に広く受け入れられ、『』()、訳『』()、訳『』()がよく読まれた。 文芸創作に関しては、に入ってしばらくはと同様の文芸活動が続いていた。 からにが日本で初めての近代小説論『』を発表するまでの期間の文学は、、、の3つに分類される。 戯作文学は、江戸時代後期のの流れを受け継ぎつつ、文明開化後の新風俗を取り込み、人気を博した。 は、文明開化や啓蒙思想家らに対して、これらを滑稽に描いた『』()、『』()を発表した。 坪内逍遥 翻訳文学は、明治10年代(1877年 - 1886年)になってさかんに西欧の文学作品が移入され広まった。 代表作はが翻訳したの『』()、がの戯曲『』を翻訳した『自由太刀余波鋭鋒』()である。 国会開設や、自由党、改進党の結成など、の高まりとともに明治10年代(1877年 - 1886年)から政治小説が書かれるようになる。 政治的な思想の主張・扇動・宣伝することを目的としているが、の『』()、の『』()といったベストセラーになった作品は、壮大な展開を持った構成に、多くの読者が惹きつけられた。 坪内逍遥の『小説神髄』発表後は、その主張を受けて的要素が濃くなり、の『』()はその代表的な作品である。 知識人が真面目に社会・人生をとりあげた点が文学の社会的意義を高め、漢文調の文体も人々に感銘を与えた。 写実主義とロマン主義 [ ] 森鷗外 が進むにしたがって、自我意識の目覚めは人間性の解放をもたらし、開放的な自由を求める文学が登場する。 はでの経験を題材にした『』()を発表し、自我の覚醒を描いた。 また鷗外は原作の『』()を訳し、典雅な擬古文体によって詩情豊かな恋物語を伝え、広く愛読された。 は近代的自我の内面の充実を主張した評論『内部生命論』()を書いた後、25歳で自殺した。 は、代表作『』、『』(ともに)が鷗外・露伴の激賞を受け注目されるが、24歳の若さで死去した。 は、『』()、『』()といったロマン的情緒の深い作品を発表し、幻想的・神秘的な独自の世界を拓いた。 は自然美を随筆的に描いた『』()を発表し、キリスト教人道主義者のは社会的視野を持った『』()を発表した。 独歩はやがてロマン主義から自然主義的な作風に変化していった。 日本のロマン主義文学は、西欧のそれに比べて短命であった。 自然主義と反自然主義 [ ] 夏目漱石 この自然主義の流れに相対する形で存在していたのが、後述のと呼ばれる潮流である。 や、後には・・が反自然主義に分類される。 漱石と鷗外は日本近代文学を代表する小説家としてしばしば並び称され、それぞれ、と呼ばれる(漱石の影響を色濃く受けていた後期の鷗外は余裕派に含まれることもある)。 当初や漢詩、俳句を著していた漱石は、の勧めで執筆した『』()で文壇に登場した。 続いて発表した『』、『』(ともに)などの作品で自然主義文学とは異なる作風を示し、前期三部作と呼ばれる『』()、『』()、『』()で文明を獲得した近代知識人の内面を描いた。 後に『』()、『』()といった作品で、人間の利己を追い求めた。 また、鷗外も漱石の旺盛な執筆活動に刺激されて創作活動を再開、『』(1910年)、『』()などの現代小説を書いた後、『渋江抽斎』(1916年)など史伝・に転じた。 明治時代の詩歌俳句および演劇 [ ] 石川啄木 ロマン主義のうち、短歌ではが「」を創刊、は『』()を発表した。 この一派であった、も活躍を見せたが、特に啄木はに転じ『』()と『』()を刊行した。 また啄木同様にの影響下に、の『別離』(1910年)やの『NAKIWARAI』(1910年)なども生まれた。 を主催したは、「」を創刊。 は『』()を発表しを開き、、らが参加した。 、らはを起こし、に繋がる歌を読んだ。 俳句では、や「」を中心に、、、らが輩出された。 また、演劇界にも自然主義の影響があり、逍遥、らがを立て、の『』の上演などを行った。 文芸協会の解散後、抱月はらとともにを設置しの作品などを上演、『』が評判となった。 このほか、、2代目により、の活動が見られた。 大正時代の文学 [ ] 反自然主義の諸相 [ ] 芥川龍之介 (1912年 - 1926年)の中期からは東京帝大系統の「」で活動するが漱石や鴎外の影響の下に現れ、や、、らの活動があった。 芥川は『』()で登場し、古典に取材した数多くの短編などで大正文壇の寵児となった。 一方、劇作家として知られた菊池寛はやを、山本有三は健康的なを書き、活躍した。 芥川は、『』と『』という傑作を書いた後に自殺した。 芥川の自殺は時代への不安を示すものとして、知識人や小説家に衝撃を与えた。 また、()と呼ばれるや、、らによってが書かれた。 人間内部の心理の現実を深く見つめるもので、人生の暗さが描かれた。 大衆小説の興隆 [ ] 吉川英治 は、明治期にの『』()などの風俗小説が発展し、、の髷物(撥鬢物)、の冒険小説など通俗的な小説が書かれ、その先駆となった。 に、は「大乗小説」と称する大作『』の連載を開始。 人間の業を描こうとした時代小説で、未完に終わったがその影響は大きく、大衆小説の出発点とされる。 に刊行された「」には当時の人気小説家がこぞって執筆した。 に入ってからが高い人気を得て、『』()、『』()などで国民小説家の名を冠せられた。 このほか、やの流れをくむでは、、らが活躍した。 はの翻案小説などで紹介された。 このジャンルでは、「」に『』()でデビューしたが数多く執筆し、多大な影響を与えた。 このジャンルは、らのほか、江戸時代を舞台にした「」と呼ばれる時代物が書かれた。 大正時代の詩歌俳句および演劇 [ ] 萩原朔太郎 口語詩が次第に完成されていき、、、らがそれを高めた。 とくに『』()の、『』()、『』()のは口語自由詩を確かなものにした。 一方、は訳詩集『』()を発表、この時期に再評価されたの訳詩集『海潮音』とともに、名訳詩集として高い世評を得た。 はの風土に根ざした数多くの詩と童話を書いたが、生前に刊行されたのは『』()・『』(1924年)の2冊のみであった。 宮沢の作品が評価を受けるのは彼の死後のことであり、特にの尽力によるところが大きい。 短歌では、の精神を受け継ぎ、「」を舞台とする写実的なが主流となる。 中心人物はやらで、左千夫の死後はが積極的に活動し、アララギ派の地位を向上させた。 同派のは歌集『』()で万葉調の中に近代的抒情を歌った。 俳句は、新傾向俳句を創作したの門下が、「」を開きを確立させた。 これには、が参加。 のち「層雲」を離れた碧梧桐は「」を主宰しがこれを継いだ。 ただし主流は、定型と季題を重視するらの「」であった。 やの活動が演劇界に大きな影響を与え、の創作が盛んになった。 の『』()、の『』()、の『』()などの作品が発表された。 戦前昭和時代の文学 [ ] モダニズム文学とプロレタリア文学 [ ] 井伏鱒二 もう一つのモダニズム文学の流れはと呼ばれる小説家たちであるが、むしろその傍流にあった人々から個性的な世界を樹立する作家が現れた。 私小説の伝統を受け継いだ『』()のと、頭ばかりが肥大化した知識人を戯画化した『』()のがその代表である。 新感覚派の流れを受け継ぎ、の解体後に優れた業績を残したのがとのである。 やのの影響を受けや深層心理の芸術表現を試みた。 なお、この時代にはが『』(1929年)で登場し、のスタイルを確立した。 政治状況を背景ににらによって雑誌「」が創刊され、次いでの潮流が生まれた。 『』(1926年)の、『』(1929年)の、『』(1929年)の、『キャラメル工場から』(1928年)ののほか、や、、、らによる諸作品が生まれた。 プロレタリア文学は、以降の的な空気の中でその運動が発展していった。 プロレタリア文学評論も活発となり、、らの文芸評論が知識層に影響を与えた。 また、革命的運動には参加せず、プロレタリア文学運動の組織外にありながら、支持立場・主張の近かった、いわゆる「同伴者文学」の作家たちもいた。 『』(1922年)、『』(1928年)などを書いた、『』(1928年)の、『風雨強かるべし』(1933年)の、らが作品を発表した。 戦時下の文学状況 [ ] 志賀直哉 戦時体制の強化によりの小説家たちは弾圧を受け、政治性や思想性を放棄したが続出した。 の『村の家』(1935年)や、の『故旧忘れ得べき』(1935年)、の『』(1937年)などがの代表である。 また、危機的な時局を背景に国粋的動向とともにやらの文学活動が見られた。 戦争が暗い影を投げかけるこの時期にも、優れた創作活動は行われていた。 、は大長編『』を書き始めた。 は『』()を発表。 は『』に着手(1935年)し、は日本精神と西洋文明の対決を追求する『』(未完)に取り掛かった(1937年)。 は『』(1935年)を、は『』(1937年)を、は『』(1938年)をそれぞれ完成させた。 『』(1933年)を書いたは1935年から『』のという大事業に取り組み、からは『』に着手し、軍部や警察から中止命令を受けたが、ひそかに書き続けた。 徳田秋声は権力の干渉にあって『』(1941年)の筆を折り、未完のまま没した。 文芸復興の機運の中、新人も多く登場した。 私小説では、『暢気眼鏡』(1933年)のや、『鮎』(1932年)、『贅肉』(1934年)のが文壇に登場し、は『』(1928年)で大きな反響を得た。 さらに、『』(1933年)の、『』(1933年)の、『普賢』(1936年)の、『』(1940年)のなどが登場し、風俗小説が流行した。 また、とが制定され、文学がジャーナリズムの注目を浴びるようになった。 『』()により第1回芥川賞を受賞したは、以後長く活躍した。 その他にも、や、、、、らが新風を生み出した。 戦局が拡大していくと、政府による思想・言論の統制が強化され、国の政策に沿ういわゆる国策文学が主流を占めるようになる。 例えば、徳田秋声の『縮図』や谷崎潤一郎の『細雪』が連載中に発禁処分を受けたほか、石川達三の『』(1938年)は、発禁・禁錮処分を受けた。 他方で、の『』(1938年)は爆発的な反響を呼んだ。 そうした中でも、自己の文学を守ろうとする作家たちもいた。 『』(1938年)、『』(1941年)のや、『』(1939年)の、『』()、『』()の、『』(1942年)、『』(1943年)のらがそれぞれ佳作を残した。 戦前昭和時代の詩歌俳句および演劇 [ ] 高村光太郎 日中間の戦争の到来によるモダニスム運動の退潮により、詩の世界も変化する。 らが主宰する雑誌「四季」では、、、ほか「四季派」の詩人達がの牙城を築き、からはが活躍した。 そのほか、、などもユニークな足跡を残した。 この時代の代表的な詩集はの『』()、の『』()、の『』()、の『中野重治詩集』()、の『』()などであり、歌集はの『柿蔭集』()、の『鹿鳴集』()、句集はの『葛飾』()、の『長子』()などである。 また、が優れた短歌を残した。 演劇では、の『紙風船』()、の『火山灰地』()、の『おふくろ』(1933年)、さらにのとしての『暴力団記』(1930年)が評価された。 現代文学(戦後の文学) [ ] 戦後昭和時代の文学 [ ] 既成作家の復活と民主主義文学の再出発 [ ] 戦争が終わると、まず戦争末期には作品の発表すらできなかった既成作家たちが、これまで書き溜めていた作品や新作を発表した。 は破壊された東京の街をみつめて『灰色の月』(1946年)を書いた。 は戦時中に書いた『浮沈』(1946年)、『踊子』(1946年)などを次々と発表した。 は『』(1948年)を完成させ、次いで『』(1949年)を書いた。 は『思ひ川』(1946年)を、は『』(1949年)を、『』を完結(1948年)させたは『』(1949年)や『』を書いた。 は『本日休診』(1949年)や『遙拝隊長』(1950年)などを活発に書き始めた。 は『』を改作・完成(1948年)させた。 の流れをくんだやらは、を創立して、幅広い運動をめざして再出発した。 宮本百合子は『播州平野』(1946年)、『二つの庭』(1947年)を、は『妻よねむれ』(1946年)を、は『私の東京地図』(1946年)を、中野重治は『むらぎも』(1949年)、『』(1957年)を書いた。 壺井栄の『』(1952年)は映画化され大きな反響を呼んだ。 新日本文学会はやがて、イデオロギー対立のあおりを受けて分裂・後退していく。 戦後派作家と第三の新人の登場 [ ] 大岡昇平 雑誌「」の周辺から、、、らが現れたほか、、、、らが旺盛な活動を見せた。 大岡昇平の『』(1949年)、『』()、三島由紀夫の『』()、『』()、安部公房の『』()などが注目を集めた。 戦後派のうちやの傾向は、「」と呼ばれる、、、、、らに受け継がれた。 、の次に現れたため、「第三次戦後派作家」という意味の「第三の新人」と呼ばれる。 第三の新人以降、にが『』()で「戦後の最初の宣言」として文壇に華々しく登場し、の存在が一躍有名になった。 その後、、、、などの有力な新人が登場する。 戦後になると女性小説家の活躍も目立つようになり、『』(1962年)や『森』(1972年)の、『』(1947年)の、『』(1949年)の、『私の東京地図』(1946年)の、『』(1949年)の、、『』(1955年)の、『』(1959年)の、、 らが筆を揮った。 また、に在住するをとする人たちがで創作するの流れが生まれた。 が先駆的な存在であり、その後、と続いた。 高度経済成長期の文学 [ ] 三島由紀夫 文壇の長老となったは『』()、『』()を、は『』(1956年)を、は『』()、『』(1962年)を、は『』()を発表し存在感を示した。 もに死去するまで永く活躍した。 の枢軸を担うは『』(1962年)、『』()、『』()を、は『』(1964年)、『』(1967年)など代表作を発表した。 また、は『』()、『』()など物語性豊かな作品を発表した。 、川端康成がを受賞。 その2年後のには、がにおいて割腹自殺した。 四部作『』最終回の原稿には、この日の日付(昭和45年11月25日)が記されていた。 、散逸した近代文学関係の資料を収集・保存するため、文壇・学界・マスコミ関係の有志によって、東京目黒・駒場公園内に「」が財団法人の運営で開館した(初代理事長:)。 戦後派の小説家たちが長編に本領を発揮し始め、『死の棘』()、『幻化』()、『懲役人の告発』()、『』()、『』(1971年)、『』(1971年)、『』(1971年)、『』(1971年)、『方丈記私記』(1971年)、『日本文学史序説』()などの作品が生まれた。 井上靖 前後には三島由紀夫と川端康成のほかに、、、、らが死去した。 そして、彼らに入れ替わるように「」と呼ばれる、心理描写の深さを追求する小説家たちが現れた。 、、、らがその代表である。 また、にを告発した『苦界浄土』でが、にはを主題とする『祭りの場』でが登場し、以後静かに深刻な問題を作品化していった。 、近代日本文学の文芸批評を確立したのは大作『』を完成させた。 翌年、が、、、らを「フォニイ」(贋物・通俗という意味)と呼んで論争になった(「」)。 大衆文学ではの『』(1952年)やの『総会屋錦城』(1959年)、の『』(1963年)など後のへと繫がっていくサラリーマン小説の分野が現れた。 時代小説・歴史小説の分野では、、、、、、、、、、、、らがこの時期に登場した。 は1967年に『』で直木賞を受賞し、『』(1969年)などの群像小説や随筆を発表する。 推理小説ではや、、、、、、、、らが登場する。 SF御三家と呼ばれる、、、もこの頃に活躍を始める。 後に『復讐するは我にあり』(1973年)で直木賞を受賞するノンフィクション作家のもこの頃から作家活動を始める。 団塊の世代の台頭 [ ] 安部公房 の半ばからの作家が次々に現れた。 は戦後生まれとして初めてを受賞した。 彼は、出身地である紀州にこだわった紀州三部作『』(・翌年芥川賞受賞)、『』()、『』()で土着的文学世界を築いた。 の次女であるは『葎の母』、『寵児』などで高く評価され、に『光の領分』により第1回を受賞した。 その後も、『水府』、『黙市』などの作品で評価された。 が『』(1976年)でヘロインと乱交にあけくれる若者を描き芥川賞を受賞し、大いに注目された。 以後、『』()などを発表した。 村上龍とともに語られるのが、1979年に『』でを受賞してデビューしたである。 『』()などのの影響を受けた作風が支持された。 『』(1977年)でが登場し、『』(1977年)『』()を合わせた川三部作により戦後大阪の庶民の姿を描いた。 吉本隆明 デビュー後、着実に独自の世界観を作り上げてきたは、『』(1985年)、『』(1988年)などを発表。 特に『』(1987年)は大ベストセラーになり、上下巻で460万部以上を売った。 も『』、『』(ともに1987年)などで話題を呼んだ。 は『』()、『』(1989年)などで彼独自の世界を描き、は代表作の一つ『夜の光に追われて』()を発表した。 また、は『』(1986年)で幅広い読者を得た。 この時期、は『』(1986年)、『』(1987年)などを発表したが十分には読者を得られなかった。 しかし、両作は仏訳され、大江はとともに欧米圏で高く評価される日本人作家となった。 戦後昭和時代の詩歌俳句および演劇 [ ] 三好達治 また第二次世界大戦後、盛んになったのがである、各詩人によって、作風が大きく異なり、共通するものが少ない「分散性」が現代詩の一つの特徴だが、あえて共通要素をとりだすとしたら、私的性が強い事が挙げられる。 詩誌「」を中心に集まった詩人、、、、詩誌「」を中心に集まった詩人、、、のほか、、、、、、らが、また、ら女性詩人も活躍した。 短歌では、、、、らが、俳句では、、、、、、、『』を主催した・らが活躍した。 また、に発表されたの『』は歌集としては異例の驚異的な売れ行きを示した。 演劇では、の『なよたけ』()、の『夕鶴』()などの名作が生まれた。 また、・・などの分野で活躍した、、、、、らも戯曲に筆を揮った。 また、のが独自の存在感を示し、戦後生まれの、、らも若い才能を示した。 平成時代の文学 [ ] 平成時代前期の文学 [ ] 村上春樹 (1989年 - )に入る頃には、小説家は半ば世を去り、も創作の最盛期を過ぎており、文学界は各世代が入り混じり、特定の文芸思潮によっては統括できない状況になった。 「の危機」が叫ばれる中、商業主義と作家の芸術性の両立がいよいよ困難になり、文学は文化の枢要の地位を失いつつあった。 詩人として出発したは『スティル・ライフ』()で芥川賞を受賞し、を使った『マシアス・ギリの失脚』()で高く評価された。 に『極楽』で群像新人文学賞を受賞しデビューしたが『タイムスリップ・コンビナート』()で芥川賞を受賞。 以後、を軸にを開拓していった。 在住のが『犬婿入り』()で芥川賞を受賞した。 多和田はドイツ語でも作品を発表し、日本語との間に新たな関係性を見出しつつ作品を発表し続けた。 村上龍 この時期、ベテラン勢も健筆ぶりを示し、『孔子』()、『』(1990年)、『みいら採り猟奇譚』(1990年)、『珠玉』(1990年)、『女ざかり』(1992年)、『深い河』()などが話題となった。 また、実業家として第一線を退いたが執筆活動を活発化し、『虹の岬』(1994年)などを発表した。 が『軽蔑』(1992年)を発表、彼の文学の系譜がいよいよ鮮やかになったが、同年死去。 その前後に、、井上靖、、、遠藤周作など世界的な作家が死去した。 1994年、がとして2人目となるを受賞した。 『』()を「最後の小説」としたものの、『』()で小説創作を再開した。 は三部からなる大作『』(1992年~)を発表しベストセラーとなった。 また、は、『』(1994年)、『』()など旺盛に作品を発表した。 は『彼岸先生』(1992年)、『忘れられた帝国』(1995年)で、は『トラッシュ』(1991年)、『アニマル・ロジック』(1996年)で、それぞれ小説家としての地位を確立した。 平成時代中期の文学 [ ] 島田雅彦 後期からの商品化が進み、多くの新鋭の小説家がポピュラー音楽や映画などとの接点を強調して売り出された。 という音楽に応じて雑誌「」が、、、らに登場した作家を広くと名付けたが、大きな反響はなく、その名称は定着しなかった。 、は自身の文学的主題の集大成として『火の山-山猿記』を完成させた。 『』で芥川賞を受賞したは、現代ではあまり使われない漢語を多用した擬古文体を使用し、の現役学生であった事からマスコミに多く登場した。 『蛇を踏む』で芥川賞を受賞したは、『センセイの鞄』を発表し、広く受け入れられた。 同年、の『』、にの『』、にの『』、にはの『』、の『告白』といった大作が発表された。 また、は、『無限カノン三部作』を発表した。 多和田葉子 に入ったあたりから文学賞の低年齢化が話題を呼び、に最年少でを受賞したやなど、10代でデビューした若い作家の活躍がみられた。 またこの時期にはがのヨーロッパ小説の伝統を受け継いだ作品を、はとの境界を無効化するような作品を発表した。 国際的に名を知られたは、『「おかしな二人組」三部作』と総称される、『』(2000年)、『』(2002年)、『』(2005年)を発表した。 この時期には、海外での翻訳が盛んになり、一部の作家は同時代の海外文学に強い影響を与えるようにもなった。 翻訳された村上春樹の作品が多くの国でベストセラーとなり、村上は世界的に最も影響力のある小説家の一人となった。 はとの両方で創作を続け、その作品は国境を越えて高く評価された。 も『』(2003年)などの作品で世界的に名を知られた。 日本国内では、やのような、日本語をとしない、日本語で創作する小説家が高い評価を得た。 には、、、らが相次いでした。 平成時代後期の文学 [ ] 谷川俊太郎 昭和末期から、の読者の減少が著しくなった。 そのような危機的な状況下で、、、、、、、、、らが作品を発表し続けた。 短歌は、、、らのライト感覚のがマスメディアでたびたび脚光を浴びたが、短歌界は旧態依然とした文語和歌が主流で、短歌全体の盛り上がりにはあまり結びつかなかった。 俳句は、有力な新しい才能が現れなくなり、文学の領域から消失しかねないほどに衰退した。 演劇では、、、、、、らの活躍が目立った。 など平成に入ってから現れた才能も注目を集め、ジャンルを超えた活躍を見せた。 大衆文学・エンターテイメント小説 [ ] 芸術表現を重視するとされる「文学」(これを特にともいい、主に小説を指す)とは別に、娯楽を目的とする小説の流れが一貫して存在してきた。 (大衆文学)と言われる、商業的な小説である。 従来のやの流れをくむや、欧米から導入されたや、またなどのジャンルを含む。 第二次世界大戦までは、純文学と大衆小説は、比較的はっきり区分されていた。 しかし、第二次世界大戦後は、と言われる、純文学の体裁に大衆小説の娯楽性を大幅に導入した小説が生まれた。 現在は大衆小説家を名乗る小説家は少なくなり、大衆小説にあたる小説は「エンターテイメント」などと呼ばれ、、、(と呼ばれることも 、、小説などのジャンルに細分化されている(それゆえ「ジャンル小説」の呼称がエンターテイメント小説の別名のように使われることがある)。 また、大衆小説自体が純文学に影響を与えており、双方の作品を発表する小説家がある。 大衆小説から純文学へ移行する作家もいる。 現在では純文学、大衆文学の境界はきわめてあいまいであるものの、「純文学」という枠組みは、商業性よりも芸術性・形式に重きを置いた小説として、今でも残っている。 今のところ、実態としては純文学・大衆文学の区別はその作品の掲載誌によって行うことがもっとも一般的である。 ライトノベル、メディアミックス、ハイパーテキスト [ ] 1980年前後から、風の表現手法を大幅に取り入れ、十代の青少年に購買層を絞ったエンターテイメント小説が登場した。 当初「」「」「ジュニアノベル」などと呼ばれたこのような小説ジャンルは、1990年代後半には 一般的には通称ラノベ と呼ばれるのが一般的になった。 ライトノベル専門のレーベルから刊行され、漫画風のイラストが表紙になり、挿絵となっているのが特徴である。 また1980年代以降のも同様の特徴を持ち、1990年代以降は「少女向けライトノベル」としてこのジャンルに組み込まれた。 1980年代に、、、、、、、、、などの作家が、読者対象を中高生に絞った娯楽小説作品を発表し人気を博した。 1990年代には、、などが登場し、小説を原作にアニメ化・ゲーム化など他メディアに展開、の一翼を担った。 現在は一般文芸で活躍するやはライトノベル出身、、、などは少女小説出身であり、やの一部作品など、ライトノベルとして出版されたものを一般文芸として再刊行する例もある。 また、特に2000年代後半から、やの普及によりの形態が急激に変化し、を多くの人々が享受する様になったため、文学は新しい展開を見せ始めた。 同時に、従来の本を巡る市場は縮小し、文学のありかたに変化の兆しが見られる。 参考文献 [ ]• 青空文庫 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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大学受験に出る国語の文学史の特徴・勉強法・参考書を紹介!

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近代文学の文学史に入ってきました。 西洋から入ってきた小説というスタイルは日本ではどのように変化していくのでしょうか。 追っていきましょう。 大学入試の現代文分野での文学史に対応すべく、文学史のまとめをしています。 前回は、近代文学、特に明治の全体像を説明しました。 それから、大学入試の出題傾向を追うということで、難関大学で最も文学史が出題されていると思われる早稲田大学政治経済学部の問題一覧をまとめました。 というわけで、このあたりを踏まえて、今日は一気に小説の流れを白樺派ぐらいまでまとめてみたいと思います。 浪漫文学と写実的文学 近代の文学を整理していくときには、まず、浪漫主義か写実主義かを考えるといいですね。 浪漫~恋愛を中心に、比喩や象徴などを理想、すなわちかっこいい感じとか幻想的なこと、夢の世界のようなことを展開する。 写生・写実~現実世界に根ざしたいかにもありそうなことをできるだけ正確に、淡々と描いていく。 という感じですね。 となると、そもそもわかってくるんですけど、• 小説ってどっちかっていうと、写生・写実じゃない?で、詩歌って逆に浪漫だよね。 でも、全部が現実的な小説なんてありえないし、写実なのか、浪漫なのかって難しいよね?ていうか、本当は決められなくない? ということがわかりませんか?そんな感じですね。 スタートでいうと、浪漫と写実は次のようにわかれます。 浪漫 森鴎外、北村透谷などの「文学界」。 当然小説なども発表されていますが、まずは評価されていくのは、「於母影」などの翻訳詩ですね。 「新声社(S・S・S)」同人によるもので、鴎外が中心となっています。 この影響を受けていくのが北村透谷という形になります。 この流れの中で論じていいのかはわかりませんが、次の3人を書いておきます。 徳冨蘆花「不如帰」(ほととぎす)。 キリスト教の影響を受けて、自由主義的な考えをもっています。 国木田独歩「武蔵野」抒情詩人としても活躍した要素が出ているんですが、この人は晩年は自然主義の傾向をもっていきます。 泉鏡花「高野聖」尾崎紅葉の一門から出ています。 神秘的幻想的な作風です。 写実 こちらは、坪内逍遙の「小説神髄」から始まり、二葉亭四迷の「浮雲」といったあたりで形になっていく流れです。 日本の文壇の主流派といっても過言ではないです。 このあと説明していきます。 三田文学~浪漫 慶応大学に流れを持つのが「三田文学」。 自由と美というようなものが描きたい方向です。 要は、おしゃれで、ファッショナブルで、女の子にもてそうな感じの路線です。 ロマンティックですから。 「三田文学」は「スバル」の流れです。 星の名前がつくと、浪漫って感じしません?三田文学といえば、まずは永井荷風です。 作品は「あめりか物語」「ふらんす物語」という外国の名前がついた作品ですね。 あとは「すみだ川」とか。 このひらがな感も、永井荷風って感じですね。 晩年になると「濹東綺譚」とか「つゆのあとさき」とか。 大正時代は短いですから、昭和まで長生きすると、時代をまたいでいくんです。 文学史の教科書なんかでは「耽美派」なんて名前がついたりもするんですが、美に耽るってことですね。 この流れで言うと、谷崎潤一郎。 「刺青」「痴人の愛」「卍」「蓼食ふ虫」などですが、官能というか、要はだいぶエロが入ってくる雰囲気です。 昭和に入ると「春琴抄」「細雪」とかです。 早稲田文学~自然主義 これに対して、自然主義です。 フランスのゾラを中心に起こった文学運動で、実験的な意味合いが強いものでした。 たとえば、人間がある環境に置かれたら、どうなるかなんて実験できませんよね?だから、文学上で、できるだけ客観的に科学的にやっていこうというのがおおもとなんです。 社会とか人間とかというものをそういう中で暴いていくという形。 でも、日本では、客観的な方法だけが残っていって、最終的には、自分が体験した事実を暴露していく、もっというと私生活の秘密を発表していくというスタイルになってしまうんですね。 よくもわるくもその代表格となってしまったのが、まずは田山花袋です。 「蒲団」がその代表格です。 これがいわゆる告白型の、私生活暴露小説の成功例になってしまいます。 「田舎教師」なんかもテストに出ますね。 もう1人が島崎藤村。 彼は、もともと「文学界」、つまり浪漫派の詩人なんですね。 「若菜集」「落梅集」とかです。 「まだあげそめし前髪の林檎のもとに…」って「初恋」が有名ですよね。 でも、小説に転じてからは、自然主義です。 「破壊」は部落差別の問題など描いた社会派の作品なんですが、その後、姪っ子との関係なんかを発表してしまうことにもなる「春」あたりになると、自伝的告白的小説になっていきます。 代表作は他に「夜明け前」とか「家」「新生」とかです。 それを理論的に支えるのが「早稲田文学」です。 中心的人物は島村抱月。 新劇運動にも関わる演劇系の人でもあるんですが、この人も、研究所の看板女優の松井須磨子と、妻子ある身でありながら関係をもってしまって、一大スキャンダルに発展します。 というわけで、自然主義っていうのは、文学自体も、どこかで私小説、つまり、告白主義的なものになり、またなおかつそこで描かれる内容が不倫とかそういう類いの、あまりよろしくないもの、という印象が強くなってしまうんですね。 早稲田文学はあとは長谷川天渓。 その他の自然主義文学といえば、 岩野泡鳴「耽溺」 長塚節「土」 などをおさえておけば大丈夫です。 文壇とは別の流れ~夏目漱石と森鴎外 というわけで、文壇の主流派が自然主義であったとしても、そうではないものが小説ではないのか、という動きもあるわけです。 そもそも、実際に海外にいって、小説に触れたかどうかというのは、大きな差になっているような気がします。 たとえば「浮雲」の二葉亭四迷はロシアです。 ロシア文学の翻訳などの流れから自分でも作品を書くことになります。 夏目漱石はイギリスです。 英文学者を志して挫折しますが、ロンドン留学と英文学がその発端でしょう。 森鴎外はドイツですね。 そもそもは軍医ですが、ドイツ留学後に「舞姫」や「うたかたの記」を作ります。 というわけで、本場の文学を触れた人たちは、それぞれが独自路線で、自然主義ではない文学を作るんですね。 森鴎外 森鴎外は軍医なんですが、文学活動も精力的に行います。 透谷と組んだ「文学界」は、浪漫主義。 「於母影」といった翻訳詩などの動きも含めて、完全に浪漫です。 自然主義とは完全に対立。 「没理想論争」と呼ばれる逍遙との議論もあります。 そういう観点でみると、「舞姫」を告白小説のように考えるのは成り立ちとしても間違いでしょうね。 「自然主義」への批判というならなんといっても「ヰタ・セクスアリス」。 代表作は、あとは「青年」とか「雁」とか。 晩年は、歴史小説にうつっていきます。 「阿部一族」「山椒大夫」「最後の一句」「寒山拾得」「渋江抽斎」などです。 森鴎外が文学史で出てくると、結構作品が並ぶことが多くて、1、2の作品でやるわけにはいきませんから、注意してください。 夏目漱石 漱石の場合、英文学からの挫折、というような形で小説を書いていると思います。 社会の中では広く受け入れられていきますが、自然主義が中心となっている文壇からの評価は決して高くありませんでした。 作品としては、すごく多様性があって、処女作である「我が輩は猫である」は社会風刺的ですし、「坊っちゃん」は痛快な娯楽小説のような面があります。 「草枕」になってくると、ちょっと叙情的というかエッセイ的というか。 「夢十夜」なんていうと幻想的な作品。 大学の先生をやめてからは、朝日新聞で作家になるわけですね。 「虞美人草」から始まり、「三四郎」「それから」「門」の前期三部作。 「彼岸過迄」「行人」「こころ」という後期三部作。 このふたつの三部作になると、個人としての生き方と社会的な倫理観とのせめぎ合いがテーマになる、かなり重厚な作品となっていきます。 ちなみに、このふたつの三部作の間にあるのが「修善寺の大患」と呼ばれる大病です。 早稲田政経で、これ以後の作品を選べ、という問題が出ました。 まあ、正解が「明暗」なんで簡単なんですけどね。 「こころ」以降ということでいうと、「道草」と「明暗」。 「道草」はテーマは同じとはいえ、自伝的作品で、そういう意味ではこのあたりから自然主義の文壇から評価されるようになっていきます。 最後は「明暗」。 未完でおわるというか、この執筆中に漱石は死ぬわけですね。 このあたりを漱石としてどう評価するかはわかれるところです。 評価するのか、しないのか。 私はしない方です。 でも、それはそれで、現実へのぶつかり方としてすごいなあと思います。 漱石というと、自我とかエゴとか「則天去私」とか、そういうのがキーワードになります。 個人的なことでいうと、鴎外にせよ、漱石にせよ、学校の国語の授業レベルではきちんと説明されているとは思えません。 というわけで、私の彼らの「近代」というもののぶつかり方についての理解は、 で、よろしくお願いします。 人道主義~白樺派の登場 さて、こうした2人の超越した才能はともかく、そうでない人にとっては自然主義の文壇のやり方には閉口するところがあります。 もっと、ちゃんとまっとうなことを書いた方がいいという考え方。 自然主義があまりに暗く、あるいは人間的にどうなの?という世界ですから、もっといいこと書こうよ、というのは至極まっとうだと思います。 これが「白樺派」。 理想主義とか、人道主義とか説明されますけど、言葉以上の説明をするなら、それ以前の自然主義がひどすぎるだけ。 姪っ子と関係もって、それを小説上で発表する、それが小説だって、どうですか?その反動といえば、それだけの話です。 というわけで白樺派です。 作家名と代表作を覚えましょう。 武者小路実篤 「お目出たき人」「友情」 志賀直哉 「暗夜行路」「城の崎にて」「小僧の神様」 有島武郎 「或る女」「生まれ出づる悩み」「カインの末裔」「惜みなく愛は奪ふ」 この3人をまず覚えれば大丈夫だと思いますが、長与善郎とか倉田百三あたりも名前だけでも見ておきましょう。 これが明治時代末から大正時代あたりの話です。 で、注意してほしいのは、書いた順番で、動いていくことは間違いないですが、永井荷風も、谷崎潤一郎も、島崎藤村も、昭和まで作品を書き続けますから、流れが完全にうつっていくわけではないんですね。 でも理解するためには、こういう流れをおさえてもらうといいと思います。 次回は小説の流れの続きを追う予定です。 manebi.

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文学史に詳しい方お願いします。大学受験で文学史が出るのですが詳しい資料が手...

現代文 文学史

現代文と古文の両方の文学史を出す大学があれば、片方の文学史しか出さない大学もあります。 そのどちらにも対応することができるように本書は、 現代文と 古文の文学史の両方を掲載しています。 したがって、この1冊で、国公立大学・私立大学を志望する誰もが使用することができ、 自分の志望校に応じて必要な分野だけに絞って勉強することが可能です。 しかし、配点に比べて暗記する量は多く、時間がかかるために受験生を悩ませます。 そのため本書は、大学の過去5年分の入試問題を分析して出題頻度から収録する項目を選定してあるので、効率的に学習できるように コンパクトにまとめられています。 ページ数で言うと80ページしかなく、参考書としてはとても 薄いのでモチベーションも上がると思います。 したがって、文学史に時間を割く暇がない人でも、 短い時間で集中的に覚えることが可能です。 また、時代の流れに沿って掲載してあるので、 順番通りに勉強することで文学史の流れを一目で理解することが可能です。 そして、本書はジャンルごとにも分かれています。 例えば物語文学において、 というような表が掲載してあります。 関連したジャンルごとに覚えることで、より暗記しやすい作りになっています。 そのため、文学史を暗記しさえすれば確実に得点を稼ぐことができ、他の受験生に最大で10点もの差をつけることができます。 しかし、長文読解問題で得点しないと合格点には達することができません。 したがって、 スキマ時間を使うことで時間をかけずに暗記をすることを心掛けましょう。 私の場合、学校に行く朝の電車の中では、文学史を勉強するというルールを作っていました。 また、参考書を持ち運ぶのが面倒な人には、本書と同じ会社から出ている『Z会 短期集中 文学史』というアプリをおすすめします。 価格は本書とほぼ変わらず600円でお手頃で、一問一答形式がとられているのでアウトプットを中心に勉強したい人におすすめです。 そのため、より効率的に暗記するために、 各講ごとに知識をインプットしたのちに、アウトプットするようにしましょう。 この作業を繰り返すことにより、学びが一層深まります。 また、 赤シートが付録としてついているので重要なポイントを隠しながら勉強することもおすすめします。 「まとめ」に振られた番号の内容と対応しているので、見比べながら理解を深めてください。 また、「問題」の解説にもしっかりと目を通してください。 文学史の問題を答えるうえでのコツなどを掲載しているので役に立つと思います。 入試において、1点・2点の取りこぼしは 致命的になります。 たった10点の記号問題だからといって、手をつけないことの無いようにしてください。 他の受験生より少しでも多くの点数を稼ぐためにも、文学史で確実に点を取りましょう。

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