歌川たいじ 母親。 何を考えますか?「母さんがどんなに僕を嫌いでも」試写会レポ : なーみん絵日記 Powered by ライブドアブログ

母さんがどんなに僕を嫌いでも

歌川たいじ 母親

著者歌川たいじの自伝的小説。 母親に虐待されても、ばあちゃんや友人たちによって自我を確立し、母親と向き合い、親子としての関係を修復していく話。 主人公の自宅で両親が工場を営んでいて、そこに勤めに来ているばあちゃんが、主人公を自分の本当の孫のようにかわいがっている。 主人公は、母親が父親と上手くいかずイライラすると、母親に豚などと暴言を吐かれたり、たたかれたりと虐待を受けている。 私自身、過去に短気でカッとなって子供に暴言を吐いたり、手を挙げてしまったりしたことがあるので、自分の姿が映し出されているようで、胸が痛んだ。 父親と離婚後、彼氏は出来るも別れるたびに、情緒不安定な母親の虐待はエスカレート。 母親に包丁で切り付けられ、主人公は家出する。 その後、社会人になった主人公は、友人に恵まれ、少しずつ自我を確立していく。 その頃、ばあちゃんが病に伏したと知り、見舞いに行った際、自分は豚だからと自虐して心を保っている主人公に対し、ばあちゃんが、たいちゃんは豚じゃないって言ってと言うと、主人公が泣きながら僕は豚じゃないと何度も言う。 こうして、主人公は少しずつ自尊心を取り戻していく。 そんな時に、音信不通であった母親から連絡が。 晩年の母親は、自分を愛してくれた男によって、精神的に落ち着いていた。 この母親だけに限らないけれど、人間は、どんな自分でも認めてくれて、愛してくれる存在が必要なんだと思う。 でも、子供にしたら、どんなに自分勝手な人でも自分のお母さんであって、嫌いになれないんだと思う。 主人公は、母親にどんなにひどい扱いを受けても、母親を見捨てなかった。 最後に、あんたがいてくれてよかったと言った母親の言葉は本物だと思う。 この時、やっと親子になれたのかなと思った。 子供を産んだら、突然母親になる。 でも、いくら育児書を見て勉強していても、生まれたら初めてのことだらけで、母親も不安でいっぱいだ。 そんな時、父親とも上手くいかないと、情緒不安定になって自分より弱い立場の子どもに感情をぶつけてしまう。 いけないこととはわかっているけれど、人間は弱いから同じことを繰り返す。 そして、後悔と自責の念にかられる。 子育てには常に悩みや不安、葛藤がつきないが、それでも産んだ責任はきちんととらなくてはいけないと思う。 子供を持った一人の母親として、痛感した小説であった。 (40代女性).

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「僕はブタと一緒」壮絶な虐待描いた映画の問い 生還までの道のり

歌川たいじ 母親

同棲しているパートナーとの日常を描いた漫画をブログに投稿し、人気を博している歌川たいじさん。 一方の西原さつきさんは、トランスジェンダーが主人公のNHKドラマ『女子的生活』に出演。 監修も手がけ、仕事や恋愛といった日常のなかで自分らしさを貫くことの魅力を伝えました。 西原さんは、自分と歌川さんに重なるところがあるのではと感じていました。 歌川さんの作品内の「自分が自分であることを喜べない存在もいるよねえ・・・」という文章を指し、西原さんは次のように語ります。 「この文言がすごい印象的で。 自分のことが嫌いとかそういう表現よりも、すごい普遍的というか」 西原さつきさん 2人の共通点、それは「自分を受け入れられなかった」ということ。 西原さんが2016年5月30日放送のハートネットTVに出演した際の言葉に、自分を受け入れられず自己肯定感が低かった西原さんの思いが表れています。 「私はこの生き方しかしてないから分からないんですけど、なんだろ、普通の人とか一般の人は、自分のことを割と好きなものなんですか」 西原さん そして歌川さんにもまた、自分を大切にできない時期がありました。 20代の頃は夜の街で行きずりの肉体関係を重ねたと言います。 歌川さんは母親に虐待を受けていた自分の過酷な生い立ちを漫画に描いています。 母が怒るのは自分がみっともないせいだと思い込むようになっていきました。 歌川「親を嫌いになるぐらいだったら自分を嫌いになるほうをやっぱり選んじゃう。 それで、自分のことをとてもじゃないけど受け入れられるものではない」 西原「 歌川さんの作品内の文章を指して この、どんなことをされても僕は逆らえませんでしたっていうのとか、こういうのって、けっこう自己評価が低い人が」 歌川「まるっきりそれです 笑。 ただ、この当時の僕にとっては、誰かが自分を求めてくれるなんてことがまずなかったし、ちょっとそこにね、僕自身が自己評価が低いっていうのが原因で、依存しちゃってたっていうところがあるんです。 」 自分をちゃんと愛せるように それぞれの転機となった1歩 西原さんは26歳で性別適合手術を受けます。 それでも悩みは消えず、自分を大切に思えるようになるまでにはまだ長い時間が必要でした。 西原「 スマホを取り出し写真を見せ なんかちょっと恥ずかしいんですけど、見せるのが。 このへんとかが、すごい無理してるときの私です」 歌川「あー。 ハハハ。 でも、かわいい」 西原「でも、髪もすごい長くして、濃いメイクをガーッとやって。 いかに自分が女らしいかみたいなのを、やたらアピってる時期だったんですよ、それって。 自分にうそをつきたくないから、そうやって性別を変えたのに、また生まれながらの女性だってうそをついて生きてるという、どう生きても周りをだまして生きてる感覚っていうのがすごい強くて。 自分を何とかじゃあ、好きにならなきゃ、好きになっていこう、好きになろうと思って、自分の体を。 愛せるように。 ちゃんと」 歌川「それは何かきっかけがあったんですか」 西原「その、もうどこにも逃げ場がなくなって、あとは、私は自分の人生を本当に自分で終えるか、それとも、自分にうそをつき続けて生きるか、その2択しかないんだなと思ってたんですよ。 でも、なんか、そんな消去法で選ぶ人生なんてやっぱ嫌だなって」 歌川「そうだね」 西原「そう、ギリギリで思って。 それがどこだったかっていうと、駅の、今でいう多目的トイレみたいな場所だったんですけど、今でも覚えてるんですけど、そこでなんか、ふと、ふと思ったんですよね。 鏡、あるじゃないですか。 自分の姿を見たときに、そこからふつふつと、少しずつわき出したっていう感じでしたね。 なんか」 歌川「どのくらい時間があったんですか」 西原「えっと、10年です」 歌川「やっぱ10年かかったんだ。 この10年っていうのは、ひと言で言うとどんな時間だった、時期だったんですか?」 西原「すごい地味な言葉になっちゃうんですけど、積み重ねでしたね」 歌川「うん。 1歩1歩」 西原「1歩1歩って感じでした」 歌川さんにとっての最初の1歩は、17歳のとき。 母親に虐待を受けていた歌川さんにとって心のよりどころとなっていた大切な人、「ばあちゃん」が末期のがんだと聞き駆け付けた際のことでした。 歌川さんはおどけてこう話しました。 歌川「今、食肉市場で働いてるんだ。 僕なんかブタみたいなもんだし、お似合いかなって思うよ」 しかし、ばあちゃんは笑いませんでした。 ばあちゃん「ばあちゃん、たいちゃんにお願いがあるの。 僕はブタじゃないって言って。 」 このときのことを歌川さんは次のように振り返ります。 「このひと言は本当に言おうとしても出てこなくて、毎日自分のことブタだと思ってたから。 なんでばあちゃんが言ったたったひと言が、こんなに、言おうとしても泣いちゃうのかと思ったら、やっぱりこう、僕はどうしてもその言葉を叫びたくてしょうがなかったんだなってことが、すごく自分で分かったんですよね。 」 歌川さん 静かに暮らすマイノリティの人々に自信を届けたい 「これが私なんだなって思えるようになってから、人生毎日楽しくなって、歌川さんみたいに日常をたくさん発信するっていう楽しさをけっこう覚えてきた途中です。 」 西原さん 自分を好きになると、生きやすくなる。 西原さんはこのことを多くの人に伝えたいと考えています。 西原さんが、女性になりたい人たちに声の出し方やメイクの仕方を教えたいと始めた「乙女塾」には、昨年のスタート以降、これまでに全国から300人が参加しています。 「私がそうやって表に出てやってはいるんだけど、なんかこう、例えば深海のなかで生活してたとしたら、船の上でやってるパレードとかを見て、上で何かパレードとかやってるんだなとか思っても、自分たちには、光が当たってない方たちには関係のない出来事としてとられていることがすごい多くて。 少なくとも社会の環境が変わることと、自己肯定感が100%全部一致して、連動して変わるわけじゃないと思ってて 中略。 ダイレクトに本人の自己肯定感を強くしてあげるっていう作業をやってるんです。 」 西原さん 乙女塾で西原さんが大切にしているのは、「その人がどんな自分になりたいか」ということです。 「自分自身のことをなんで好きにならないといけないのかっていうのは、それは好きになったときに答えが分かるんですけど、自分自身のことを好きになると、周りの人のこと、みんなのことを好きになるからです、自分も。 」 西原さん 「乙女塾」に半年前から通うさっちゃん。 家族に迷惑をかけまいと女性になりたい気持ちをこれまでずっと押し殺してきたさっちゃんは、この日、初めてメイクのレッスンを受けました。 歌川「 さっちゃんの様子を見て もともとこの人、すごく女性である自分っていうのを肯定したかったんだろうなっていう。 もっと晴れ晴れとした顔をしてるのかなと思ったんですよ。 晴れ晴れとした顔ともまた違う、スッと前見るような」 西原「ああー」 歌川「自分の希望に気がつくことで、なんかこう、3割ぐらいはかなったんじゃないかなって思うぐらい。 だって、どっちに歩いていった方がいいのか、どっちに歩いていけばいいのか分かるんだもんね」 西原「女性になりたいの? とか聞いても、いやあ、別にそうなりたいわけじゃないんですけどみたいな。 いっぱいいる」 歌川「そういう人に対しては」 西原「ほんとに、家族のこととか、仕事のこととか、そういうの抜きにして、いま、このボタンを押したら女になれますよってボタンがあったら、押しますかって聞くんですよ。 そうすると、もう本当に間髪入れずにみんな押しますって。 それ、もうなりたいってことだよねって」 自分自身を好きになることで周りのことも好きになる 歌川さんは30歳のとき、長らく絶縁していた母に会いにいきました。 母もまた、自分のことを認められない人だったのではないか。 歌川さん自身が自分を好きになっていくなか、母を理解できるような気がしたからです。 久しぶりに会った母は、再婚相手に先立たれ、借金を抱え込み、すっかりやつれていました。 そんな母に、歌川さんはずっと言えなかったひと言を伝えました。 「何をしてたって、大好きでいるから」 母は、見たことのないやわらかな顔をしていました。 いつしか歌川さんは、周りの人のことも大切にできるようになりました。 歌川「とにかくあのときは、母親は、精神的にもお医者さんに通って薬も必要っていう状態にもなってたし、僕はお母さん、死のうとしてるんだなって思ったんですね。 でも、やっぱり、何とか生きてほしかったから」 西原「それって、そう言ってくれる人って、自分の人生でも、たぶん片手もない、片手で十分足りるぐらいの人しか、たぶんそんなこと言ってくれないと思うんですよ。 それ、すごいことだなと思って」 自分を受け入れられなかった長い時間を経て、日常を大切に思えるようになったという歌川さんと西原さん。 自分を好きになることができた今、2人は最後にこう言います。 西原「要は、ねえ、自分が選んだ道を正解にするために、たぶん、私は性別を変えた今も、正解にするためにいろいろこうやって生き続けてるんだと思います」 歌川「なるほど」 西原「女と比べるのもやめようと思って、そこから、たぶん女になるっていうよりかは、自分になるっていう感覚のほうが近いんですけど」 歌川「正しいよね、それってね。 だって、女性だからって、女性全員、こうじゃなきゃいけないとか絶対ないわけなんだから。 その人でいいんだよね」 西原「そう、だから、ねえ、ぜひ挑戦してほしいと思う。 いろんな人に。 いろんな生き方を」 日本でも徐々にセクシュアルマイノリティが社会的に認知されるようになってきた一方、生きづらさを抱え続けている人も少なくありません。 それぞれが自分を受け入れ、自分らしく生きるために…。 そのヒントは、何気ない日常にあるようですね。 情報は放送時点でのものです。 あわせて読みたい.

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母さんがどんなに僕を嫌いでも

歌川たいじ 母親

ずっと探していた漫画です。 手記のバージョンは読んでいたのですが、やはり漫画の方で読みたいと思って探していたのです。 古本屋でようやく見つけたので購入、早速読了しました。 胸が打たれます。 「人に寄り添う」ということほど、シンプルかつありふれたことのようでいて、現実には難しいことはないのではないでしょうか。 密着しすぎると「押し付けがましい」「ベタベタし過ぎだ」と反発されるし、かと言って距離を置きすぎても「冷たい」「一緒に居る気がしない」とクレームが来る。 難しいからこそ、本気で寄り添ってくれる人に「奇跡」のようなものさえ感じてしまうのだと思います。 ばあちゃんにしろ、大将夫妻にしろ、キミツにしろ、ツレちゃんにしろ、本当に歌川さんに寄り添ってくれた人なのだなぁということを感じます。 手記の方では省かれていたりうまく伝わりにくい部分も、漫画であるということもあってかこちらのほうがよく伝わってきます。 虐待、いじめ、太っていることへのコンプレックス、両親の離婚、自身がゲイであること……。 自分のことを愛せないということもそうですけれど、「自分が愛されない」ことのつらさは尋常じゃなかったのではないでしょうか。 そのつらさを抱えながらも、一番愛して欲しかった母親に最後まで寄り添おうとした歌川さんの姿には、本当に尊敬の念が湧いてきます。 タイトルのとおり。 なんというか、たまりません。 たいちゃんはどうして、そんなにまでお母さんを好きなんでしょうか。 時には理不尽な理由で叱ってしまったり、つきはなしてしまったりする修行の足りない母親として、また、たいちゃんと比べることはできませんが同じようにあまり大事にされずに育った子どもとして、読みました。 それでもなお、愛にからめとられているからこそ、たいちゃんは苦しみ、病んでしまうんでしょうか。 私には真似のできない結末でした。 おばあちゃんは、本当のおばあちゃんではなかったんですね。 おばあちゃんの愛こそ、本当の愛なんでしょうね。 願わくば、全ての子供たちに、おばあちゃんのような存在があらんことを。 私ですか?ええ、いましたとも。 、、、そして、ありがたいことに、今も。 母の日に、何もなかった夜中に、気になってアマゾンで買った本、その1。

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