鯨料理 大阪。 どおぞの

鯨料理専門店「西玉水」|大阪ミナミ、日本橋|西玉水

鯨料理 大阪

まいど憶良(おくら)です。 こんなに綺麗なくじらの刺し身って、なかなかお目にかかれませんよね。 それが 驚きの値段で提供されているお店がにあるということで、市は北区にやって来ました。 地下鉄で言うと、JRならが最寄り駅ですが、JRからも充分徒歩圏内です。 清潔感にあふれた店内。 明るく、気取らずに入れるお店です。 鯨専門店というと高級な感じがしますが、ここでは 貴重な鯨を信じられないような値段で提供しているんです。 クジラの刺身が480円だと…!? まずはメニュー表を見てください。 おでんと、くじらのの欄ですが、見ての通りこれがとってもリーズナブルなんです。 焼き物で一番人気なのは鯨とろ(げいとろ)。 刺身もありました。 しかし、クジラの刺身が480円ですって? スーパーで見る鯨の刺身を考えると、どんなのが出てくるのか、ちょっと想像できないですが・・・。 想像ができないのなら、頼んでしまいましょう。 確かに旨いッ!しかしこの後更なる美味しい物が・・・ とりあえずおでんをいくつかと、はりはりを注文しました。 おでんは表の看板に書いてましたし、はりはりも表にでかでかと貼り付けられてましたね。 おでんの後、その出汁を使ってにするのがポピュラーなんですって。 個人的に好きなチクワと、おでんの味が一番わかるという人が多いダイコン、そしてこの手前にあるのが、コロです。 このダイコンが、めちゃ旨い。 味が良くしゅんでます。 (関西弁で、しみ込んでいるの意) 何より鯨の脂が溶け込んでいるので、 出汁が良い味になっているんです。 そしてこのコロがまた凄い。 これだけ分厚いコロもなかなか見れませんが、これがトロトロになっていて、もうその旨さは別格です。 さて、ハリハリですが、鯨とろの薄切りなどで水菜を巻いていきます。 こちらは、かの子。 鹿の子の模様に見えますね。 さえずりと、皮も頂きました。 次々と鍋に投入して 水菜がしんなりしたら、 食べごろとなります。 鹿の子は、クジラのアゴからホホにかけての肉。 程よい食感と、とても良質の脂の美味しさを感じます。 さえずり(舌)はぷるんとした食感と、甘味が持ち味。 水菜と一緒に食べるとまた一段と旨い。 鯨とろは、鯨らしい力強い味。 この出汁なんですが、これだけ飲み続けたいくらい旨い。 なんと飲みつくしてしまい、鍋をカラにしてしまいました。 焼きメニューNo. 1人気の鯨とろ。 鯨は焼くとどうしても固くなりやすいということで、ナガスクジラの肉に、A4~A5ランクの牛脂を打ち込んだもの。 鯨の風味は活かしたまま、柔らかさと旨みを加えた焼き上がりになります。 昔のクジラとは別物でした。 たまらずを注文。 鯨はにも合いますが、ワインとの相性も良いそうで、あまりのワインの注文の多さに、ワインクーラーも設置したそうです。 カンパーイっ! と、言いつつ、よく見ると我慢できずに一口飲んでいます。 個人的に食べないことがすでに損!と思うくらいの絶品肉がこれだ! 本日のお勧めメニューにもなっていました、特上尾の身の刺身、1480円。 滅多とない機会なので注文しました。 鯨の肉の中でもっとも美味しいと言われる尾の身。 ナガスクジラの(凍った状態で味わう)です。 他の部位の刺身も堪能できます 勢いに乗って、刺身の3点盛りも注文。 ナガスクジラ。 生ミンククジラ。 生の鯨は貴重品中の貴重品。 イワシ鯨。 一度にこんなにたくさんの鯨肉の刺身を食べる機会はそうそうあるものではありません。 3種盛りの出来上がりです。 鯨と言えば、も美味しいですよね。 こちらも4点盛りを注文。 このは、通販でも買えます。 でも、食べ比べするならこのお店がお勧めです。 一度に買って、一気に全部封をあけるのはちょっと勇気が必要ですから。 食べ比べて、お気に入りを通販で、という使い方も出来るかとおもいます。 生姜をそえて。 さらし。 さらしとオバケは同じ扱いにされていることもありますが、区別している店もあります。 オバケは、尾羽(尾の部分)を削(ケず)って作り、さらしは本皮部分に熱湯をかけて脂分を落として水にさらしたもの。 くじらやさんでは本皮の物です。 これを酢味噌でます。 大ご馳走状態に大興奮…! なかなか凄いラインアップに興奮します。 普段の食生活では、美味しい物は最後に食べる主義ですが、 一番おいしそうな、そしてこの店では高額アイテムから食べました。 一枚目は少しだけ生姜をつけて、醤油なしで。 鯨の刺身はやっぱりどっすげー旨い! 時間をおいて、半溶け状態で。 更に解凍された後の状態でと、時間をおいて食べると味わいもまたどんどん変わります。 こういう食べ方も、良いかと思いました。 さらしは、酢味噌で食べるのですが、これまたスーパーで買って食べる物とはちょっと次元が違う美味しさ。 スーパーで買えるさらしやオバケは、結構水っぽい物が多いのですが、クジラが高級食材でなかったころの、鯨専門店で買って食べた、あの頃のみっしりと濃い味がするんです。 これだけでも足を運ぶ価値あり! 3種盛りを食べ比べる 実は、もうこの時点でレポートなんて放棄して、食べる事に専念したいくらいの気持ちです。 私が言葉で伝えるなんて、勿体ない。 是非味わってほしい味です。 全部美味しいです・・・。 以上です。 ・・・、だめですか。 では、まじめにレポートを。 イワシ鯨は、3つの中で一番力強い味だと感じました。 生ミンクは、冷凍ものでないからなのかも知れませんが、もっちりした食感と、するっと口の中で消えていく感じ。 牛肉より柔らかなお肉。 ナガスクジラは滑らかな舌触り。 ただ、一つ言えるのは、全部メチャクチャ美味しいです。 敢えて言うなら、こんな感じの違いを感じたというだけの話で、そもそも同じ鯨でも、回遊してきた場所、食べたエサ、その時の海水の温度などなど、味も食感も、身の色も違うと言いますので、何度でも食べてみてください。 平均したら、という違いこそあれ、その時々で、また違った味わいがあるのが鯨だと思います。 鯨の食べ比べ クジラの食べ比べもしてみました。 右から潮吹き、皮須、畝須、本皮。 潮吹きはその名の通り、潮を吹く部分。 甘みが強くて脂はあっさり。 皮須はお腹周りです。 甘味と柔らかさを併せ持っている。 畝須って、何と読むんでしょう。 上部の脂部分を畝(うね)、下部の肉部分を、スノコというので、併せて畝須(うねす)と呼ぶんですって。 守破理独自の熟成釜揚げ方式で加工したもの。 歯ごたえ、味ともに最高級の物。 本皮はどんな食べ方をしても美味しいという、万能選手のような部位です。 柔らかさと脂の乗りが良い仕上がり。 脂の旨さが口の中に、さーっと広がります。 脂が口に残ると、次の料理の味に影響が出そうです。 何かでリセットしないと・・・。 という言い訳でを頂きました。 懐かしい味?鯨の竜田揚げと鯨フライ フライはあまりなじみがなかったんですが、くじらの竜田揚げは、ポピュラーなメニュー。 カラっとあがったフライを、ソースにつけてサクッと頂きます。 うん、美味しい。 竜田揚げは、懐かしいなぁ、なんて言いながら食べる方も多いようですが・・・。 食べてみると、知ってる竜田揚げとは違う!メチャ上品な味です。 珍味だらけの4種盛り くじら自体がもう既に貴重な食材なんですが、その中でも珍しい部位たち。 歯茎って食べれるの?と思って食べましたが、形も食感も面白い。 食道はヒメワタとも呼ばれる部位。 柔らかで甘いです。 腎臓は面白い形が特徴。 マメワタともよばれています。 あっさりとした味で、弾力もあり、食感も楽しい。 胃袋は百畳(ひゃくじょう)とも呼ばれてます。 畳百枚分くらい広いって事でしょうか。 噛むほどに旨味と甘みが出てきます。 百尋(ひゃくひろ)は、クジラの小腸。 尋は長さの単位で、6尺が1尋。 (5尺とも言われてます) 大体手を広げた長さで、現代では釣用語で、竿の長さなんかに使われてます。 ちなみに尋の2倍の長さが常(じょう)で、これを合わせて、尋常という言葉の語源となったらしいです。 百尋は、つまりはそれほど長いという意味でしょうか。 肝心の味は、ちょっと癖のある部位で、どちらかというと上級者向けのようです。 完食!でも、まだまだ食べたいっ! 小食を売りにしているぐるめライターの私ですが、見事に完食。 何せ見るメニューがほとんど食べたことない物ばかりだったので、注文するたびに、すみません、食べきれないかもしれませんが・・・と言いながらだったにもかかわらず。 まだまだ食べたいのですが、この辺でとめて置いて、後は次回のお楽しみにしたいと思います。 でも、ちらりとみると、こんな物も。 なんと、クジラの睾丸なんですって。 こっ、これも食べたい・・・。 食欲を抑えつつ、インタビューです。 店の店長さんは、店、の福島店の統括もしている、クジラだけでなく、全般に知識の豊富な方という事で、色んなお話が聞けました。 店長さん : 特ににすると、どうしてもパサパサ感が出ますので、よりおいしくで食べられる方法として、鯨とろという商品を開発しました。 これはあぶらの少ないクジラ肉にA4からA5の牛の脂を打ち込んだもので、煮ても焼いても柔らかく、より美味しく食べる事が出来るようになったと思います。 もちろん、加工なしでそのままのくじらのを楽しみたい方には、そのままのお肉もご用意しています。 憶良 : 刺身についてはどうでしょう。 例えばよく目にするのはスーパーや水産センターのようなところで売られている刺し身なんですが、どうしても癖が強いというか、ちょっとした臭みがあるという印象があるんですが、今回食べた刺身は驚くほど綺麗な味という感じで、牛と比べても臭みがなく、美味かったです。 スーパーの物とは、何が違うんでしょう。 店長さん : 実は鯨の肉は、とても繊細なんです。 少し放っておくと、ドリップが出てきます。 スーパーのパック肉などで出る、赤い汁ですね。 それをそのまま放っておくと、肉そのものの風味も損なわれてしまいます。 鯨は牛などと比べても繊細な肉なので、本当にこまめに状態を見て、手入れをしてあげないといけないんです。 憶良 : なるほど。 昔の鯨って、牛の代替品という扱いで、そんなに丁寧に扱われていなかったので、ドリップの臭みが肉に回っていたということなんですね。 店長さん : すべてがそうだとは言えませんが、それも一因になっていたと思います。 憶良 : でも、今やくじらは高級品…。 それをこんなに安くできるのは、どういう事でしょう。 店長さん : このお店の母体は、海鮮物を扱ってまして、その中でもくじらを多く扱っているもので、仕入れ額が違うんです。 この店自体がアンテナショップ的な側面もあって、くじらの美味しさを知って欲しいという思いもあるために、値段は極力抑えた設定にさせてもらっています。 憶良 : 私も鯨肉がここまで美味しいとは想像できなかったので、目からうろこ状態です。 憶良 : メニューをみて、よく解らない場合はどんな部位とか、味の特徴とかについても教えてもらえるんですか。 店長さん : スタッフにお気軽にお尋ね下さい。 憶良 :最後に一言、メッセージをお願いします。 店長さん : 皆さんにも、ウチの鯨を知ってたいと思い、心を込めて準備させて頂いていますので、是非一度お越しください。 鯨を食べることの意味とは 鯨を食べる事については、賛否両論があるかと思います。 ひとつは日本の食文化という事もあり、また一方では捕鯨数の減少とともに、イワシなどが減少し、更にイワシを捕食する魚も減少しているという、いわゆる新たな海洋生物資源の問題が起こっているとも言われています。 私の過去のレポートでもお伝えしましたが、農産物を食い荒らすなどの理由で、害獣として駆除される動物もいます。 それを食べて供養する、という思いで提供するお店にも行かせてました。 鯨に捨てるところなしと言われるように、日本人は古来から余すところなくその命を大切にし、その命に感謝しつつ頂いてきました。 人間が生きるために他の生き物の命を頂いている、という気持ちを忘れることなく、感謝の気持ちを持って、これからも生きていくことが大切だと思いながら帰途につきました。 お店の場所 お店の場所が分からず、迷われる方もいるとの事で、ご案内をします。 写真の右が第一ビル、左が第二ビル。 写真奥に進むとJR駅、手前方向はに続いています。 第二ビルすぐにチケット屋さんがあり、 その角をまがると あるのですが、これは店の裏。 この道は曲がらずに、次のドラッグストアの角を曲がると到着です。 ここまで行ったら、行き過ぎ。 この裏手なので、ぐるっと回ってください。 分かってしまえば簡単な道なんですが、迷いやすいようなのでご参考に。 プロフィール 憶良 おくら : 元ゲームプランナー、元ゲームプロデューサー。 ゲーム企画講師や駄菓子屋店長などを経て現在に至る。 休日は高速道路を使わずに名古屋から鳥取あたりの温泉に行って浸かり、道中や行先の地元スーパーで珍しい食材を買い込むと例え深夜に帰ったとしても料理する。 その際食べ歩きにも積極的と、食に対してはかなり貪欲。 「美味しいものを食べている時、美味しいものについて話している時に悪いことを考える人はいない。 」という持論を持っている。 ブログ:.

次の

鯨料理専門店「西玉水」|大阪ミナミ、日本橋|西玉水

鯨料理 大阪

概説 [ ] 鯨類は世界各地でなど多様な利用がされてきた歴史があり、鯨肉の食用もその中の重要な用途の一つである。 多様なやに合わせて様々な嗜好や調理法も生まれ、国や地域によって様々な食文化を形成してきた。 現在ではが大きく制限されているため、生産量が減少している。 価格も商業捕鯨全盛期と比べると大きく値上がりしている。 が発達する前、鯨はしばしば最大の「魚」ととらえられ、の一つという位置づけで古くから食用とされてきた。 そのため、以下の記述ではの鯨を「魚」として表記する場合がある。 鯨肉の名称 [ ] 鯨肉には様々な部位があって食味が異なり、調理法も分かれている。 では、伝統的に以下のような部位に分類されてきた。 ただし、が多い。 前述のように鯨種によって取れる部位が異なったり、同じ部位でも食味が違ったりする場合がある。 部位 [ ] さらしくじらに仕立てたオバ。 黄色いものは酢味噌。 セセリ -。 「さえずり」とも言う。 高級部位とされる。 付け根と先端でも味が異なり、全体に脂肪が多い。 「コロ」に加工されて関西の種等に用いられるなどした。 オバ(尾羽) - 尾。 脂肪と質からなる。 「おばけ 尾羽毛 」「おばいけ」とも。 塩漬にし、後述の「さらしくじら」に用いる。 オノミ(尾の身) - 尾鰭の付け根ので、現在は最高級部位とされる。 やに用いられる。 では霜降り程度が弱く、厳密にはほとんど存在しない。 ナガスクジラのオノミが最高級とされる。 ヒメワタ(姫腸) - のこと。 茹でて食べる。 ヒャクジョウ(百畳) - のこと。 茹でて食べる。 ヒャクヒロ(百尋) - のこと。 茹でて食べる。 マメワタ(豆腸) - のこと。 茹でて食べる。 フクロワタ(袋腸) -。 煮物のほか、生食も。 カラギモ -。 あまり普通の食用にはせず、などにする。 ホンガワ(本皮) - 表皮と皮下脂肪層。 刺身のほか、後述の「コロ」や「塩鯨」にする。 カノコ(鹿の子) - からにかけての関節周辺の肉で、状に脂肪の中に筋肉が散り、霜降り状態のもの。 同じ霜降り肉でも、尾の身より歯ごたえがある。 や刺身で食べる。 アカニク(赤肉) - 背肉、腹肉などの脂肪の少ない部位。 鯨やのほか、刺身にも多く用いる。 シロデモノ(白手物) - 赤肉の対語。 本皮などの皮下脂肪部分の総称。 材料のほか茹でても食す。 ヒゲ - 若いのクジラヒゲが食用にされた例もある。 の原料にも使われた。 コヒゲ - の部分。 薄く切って食用にすることがある。 カブラボネ(かぶら骨) - 上あごの骨の内部にある組織。 や玄海漬に用いるほか、江戸時代には鯨熨斗 くじらのし。 ホリホリとも。 という珍味にも加工された。 タケリ -。 には薬効があると称された。 キンソウ -。 茹でて食べる。 ヒナ -。 加工品 [ ] 食品として加工された後の名称として以下のようなものもある。 - 鯨肉を揚げて油を絞った残りを乾燥させたもの。 で好まれ、本来は再利用であったはずが、積極的な生産対象にまでなった。 本皮を原料とした一般的なコロ(煎皮とも)のほか、舌を原料とした「サエコロ」、内臓の「ダブ粕」などがある。 のものが庶民には親しまれた。 では「セシカラ」と呼ぶ。 ウデモノ(茹で物) - 百尋ほか各種内臓を茹でたものの総称。 末広 - 畝須を茹でたもので、主にでの呼び名。 断面が末広がりであることに由来。 薄く切り醤油などで食す。 塩鯨 - 本皮をにしたもの。 古くから山間部までかなり広く流通し、鯨汁や煮物に用いられてきた。 さらしくじら - 塩漬の尾羽毛を薄く切って熱湯をかけ、冷水でさらしたもの。 酢味噌で食べる。 これも「おばけ」などと呼ぶほか、白く透明な外見から「おば雪」「花くじら」とも。 本皮の塩鯨も同様に調理できる。 くじらベーコン - 畝須を塩漬けにしてから燻製にしたもの。 表面が赤く着色されていることが多い。 薄切りしたものを軽く火であぶるなどして食べる。 原料の不足から、本皮で代用されることもある。 鯨肉の食文化 [ ] 欧米での食文化の流れ [ ] アイスランドで売られているミンク鯨肉の串焼き料理。 世界各地の沿岸部で古くから鯨肉を食していたことは、的研究から判明している。 においては、例としてなどでによって組織的なが行われ、鯨の舌が珍重された他、肉は広く沿岸民の食糧となった。 中世ヨーロッパにおいては、特にが食用として好まれ、串焼きや、などに用いられた。 変わった料理法では、などでまれに供されたイルカのみそのが挙げられる。 大型鯨が食品とはみなされなくなった後も、イルカについては比較的最近まで食用とされていた。 の家庭料理についての本にもイルカ料理が登場する。 イングランドの宮廷では頃までイルカの肉が供された。 におけるのような信仰上の理由からが禁じられている時に、禁忌に触れない「魚」として鯨肉を食べることも多かったようである。 しかし、沿岸鯨類資源の枯渇から沖合い・遠洋へと漁場が移動するにつれ、冷蔵冷凍技術がない当時においては持ち帰りが困難となり、徐々に食用とすることができなくなっていった。 なお、鯨肉が利用されなくなったにもかかわらず捕鯨が継続された理由は、やクジラヒゲなどに工業原料としての価値があったためである。 そして沿岸から離れる過程で、鯨を食用と見る発想そのものが失われていった。 にの捕鯨船に救助された日本人船員も、アメリカ人船員の「大型鯨肉は毒だからと食べない」という証言を記録している。 当時のアメリカ式捕鯨の対象種マッコウクジラは高級な機械油になる鯨油の元となったが、その油に蝋を含み、肉も加工せずに食べると下痢をする恐れがあり、あながち間違いともいえない。 こういった事情から新鮮な鯨肉が手に入り、なおかつ新鮮な食料を必要としていた捕鯨船上ですら、イルカ以外の大型の鯨については一部の船員を除けば食用とはしていなかった。 ただし、に刊行されたの『』にも「イルカの美味はよく知られている」という記述や、ある捕鯨船員の特殊な嗜好としてではあるが大型鯨のを食べる描写もある。 また、アメリカの捕鯨船上において、肉を食べる事はなかったが、をまぶした鯨の脳を鯨油で揚げたフライや、鯨油自体を食用油に使っていた記録があり 、前述のイルカも食用とされた。 なお、後に食用に適したヒゲクジラ(主にセミクジラ)の鯨油で生産が可能となった時にも、鯨は食品とはみなされていなかったために、鯨製品であるということは秘されて販売されていた。 ただしやなど沿岸での捕鯨が継続された地域では、例外的に鯨肉食が残存している。 時のイギリスなど一部では食糧難の際の代用食として推奨されたが、あまり定着しなかった。 1950年頃にも鯨油価格低下への対応策として鯨肉の商品化が検討されたが、これも失敗に終わり、などに転用された。 最近の鯨体の食用利用としては、前述の鯨油マーガリンを除けば、ノルウェーなどが生産した鯨肉エキスを牛肉エキスの代用として原料などに使用していた例がある程度である。 エスキモーによる利用の歴史 [ ] シロイルカのマクタックを食べる。 と総称されるの先住民にも、鯨肉食の文化がある。 現在でも、より先住民生存捕鯨でのやの捕獲を認められているほか、制限外の小型鯨類も捕獲して食料としている。 うちカナダの先住民()は、古くはホッキョククジラを最重要の食料資源としていた。 その後、寒冷化によるホッキョククジラの減少から、などに主食を移したが、鯨肉食の文化も続いている。 現在でもの捕獲を続けている。 特にクジラやイルカの皮下脂肪付きの皮の部分を()と呼んで珍重し、最高の御馳走とみなしている。 マクタックはそのまま小さく切って、口の中で噛み続けて味わう。 日本での食文化の歴史 [ ] 日本においても、組織的な捕鯨産業の成立以前から、鯨肉を食用とすることはあったようである。 小型のハクジラ類を中心に、以前を含むのや、の遺跡などから鯨骨の出土例がある。 日本では宗教上の理由などから 、「」が忌避されたり、公式には禁止されたりする時期が歴史上で度々あったが、欧米の場合と同じく「魚」として食用にされていたようである。 の肉()は食感が似ているとされ、江戸時代には山鯨という隠語で呼ばれていた。 奈良時代から室町時代の鯨肉贈答の記録 [ ]• (5年)の古事記のなかでに鯨肉が献上されたという記述がある。 文献『』• (13年)がへ鯨を献上。 は禁裏より織田信長が献上した鯨肉を拝領した。 文献『』• (5年)が織田信長に鯨肉を贈った、その返礼が信長よりなされており「鯨一折到 来候細々懇 情別而悦入候 猶参上之時 可申候也 正月十六日信長」という内容の感状が書かれている。 文献「織田信長から水野監物への黒印状」• (天正6年)、織田信長が家臣のに宛てた正月12日付の書状に、現在ので取れた鯨肉を朝廷に献上し、藤孝にも裾分けする旨が記されている。 (天正10年)鯨肉ではないが、「鯨桶」(鯨肉を運ぶための専用の)が、よりへ2つ、へ1つ、へ1つ献上された。 文献『』• (天正17年)はとに鯨肉を献上した。 (天正19年)がに鯨一頭献上。 文献『』• (17年)が榎倉長兵衛を介してに鯨の尾の皮を献上している。 「一、領分の船、鯨留め候上、壱疋の内より、初尾の為一尺八寸の皮壱枚宛とらるべく候事 慶長拾七 弐月七日 忠義判 榎倉長兵衛殿」(『千葉県鋸南町の醍醐家の古文書』)。 室町時代から江戸時代の鯨料理に関する書籍 [ ]• 末期に『』という料理書に食材としての魚の格付けとして最高位に鯨、二番目が、その他の魚は鯉以下として挙げられている。 室町時代に『』 欠年 という料理書に鯨肉の料理が記載されている。 (永禄4年)には『三好筑前守義長朝臣亭江御成之記』のなかでが自邸宅において鯨料理でをもてなしたという記述が残されている。 (20年)に『』という料理書の中で10種類の鯨料理が紹介されている。 に『』という料理書には、日本各地の鯨肉産地(詳細後述)が記載されている。 (13年)に『』という料理書に「鯨切」という鯨料理が紹介されている。 (3年)には、捕鯨の様子を描いた絵物語の付録として鯨料理専門書『』が発行されている。 鯨の約70もの部位についての料理方法として、「鋤焼き」という焼肉風の料理、に似た鍋物、揚げ物などが紹介されている。 鯨肉普及のための一種の広報誌だったとも言われる。 天保年間には『』という家庭料理書の中で「夏場のおかず位付け(ランキング)」の前頭16番目に鯨料理が紹介されている。 江戸時代から明治までの日本各地の鯨料理 [ ] から組織的なが行われるようになり、それら捕鯨地域周辺の漁村では、鯨肉はとされていた。 ただし、の一部では、初期の突取式捕鯨期には鯨油生産のみが行われて食用習慣が無く、皮下脂肪以外の鯨肉は沖合いに運んで廃棄していたという記録もある。 その九州でも網取式捕鯨が始まる頃までには急速に鯨肉食が盛んになる。 例えばに捕鯨地のを訪れたも、しばしば鯨料理が供されたことについての記録を残しており、中には「鯨ひげのサラダ」などの特異な献立も記されている。 は、現在の岸のように、該当種の捕鯨が行われてきた地域では古くから食べられ、特有のクセに応じた調理法も工夫されてきた(の「」と呼ばれる加工品など)。 流通の常(つね)で生産地の周辺地域に広く消費される傾向にあるが、など近傍経済圏にもこの頃に生まれた伝統的な鯨肉料理が存在する。 では「鯨の吸い物」が食べられているのをが著書の中で紹介している。 ものなかで大坂ので「鯨の煮付け」を紹介している。 ではの下を中心に数々の鯨料理が伝承されており、特に「」は代表的な物の一つである。 江戸城下では鯨肉を素材に調理した「鯨鍋」や「」や「」などが食され、「ホリホリ」「鯨のし」などと称した頭部の軟骨を加工した珍味も売られていた。 全体的な傾向としてはシロデモノと総称された皮下脂肪や尾羽が好まれ、尾の身も高級品とされていたが、赤肉については房総半島の一部などを除くとあまり歓迎はされなかったようである。 行事などと結びついた料理も生まれた。 を含め日本各地での煤払い(すすはらい)の後は「鯨汁」を食べる習慣が広まり、その様子は沢山のの記述やが鯨肉を扱っていた記録が残されている。 でもとしては珍しく夏の暑気払いとして「鯨焼(くじらかやき)」という鯨の鍋が江戸時代から食されており、夏場になると五艘程度の小舟の船団で鯨漁に出ていた記録が残されている。 そして明治開拓以降のの側各地でとして鯨汁が食されるのは、を中心とした東北の人々が移り住んだ名残といわれている。 北海道のの鯨食は江戸時代よりも古いとされる。 同じく夏のの食べ物としていた地域は多く、九州の農村では土用に備えて各戸で一樽ずつもの皮の塩漬けを作る地域もあった。 塩蔵すれば魚類よりも長期間の保存・輸送に耐えることを活かして、少量は各地に輸送され、一般の海魚の運ばれない山村等でなど(晴れの席)の料理に供されていた例もある。 昭和以前の需要供給、流通 [ ] 江戸時代には、江戸のの魚市では「大には 鯨、小には鰯、貴品には鯛、鰈等があるなかにも堅魚は近海の名産にして、四月八日の初市には、衣を典し衿を売るも必ずこれを食ふの旧習民間に行はる」という言葉が残されており、江戸城下で鯨肉が広く一般に流通していたことがうかがえる。 別の文献によると、土佐の捕鯨地からは、近傍の土佐中心部のほか一大消費地である大阪圏へも多量の鯨肉が供給されており、初物をいち早く出荷すべく業者が競っていたと言う。 冬が本場の鯨漁から「鯨九十九日」という言葉が古くから残されており鯨肉の日持ちの良さを表した言葉である。 実際にで捕れた鯨が江戸まで流通していた記録が残っている。 で(3年)に刊行された著の『』によれば鯨は水揚げされた後、鯨肉など食用にされる部分は各々の魚商が買い上げ、新鮮なうちに日本中の港に運ばれたと記述している。 前掲の『料理食道記』(1669年)には、鯨肉産地としてや、のほか、焼鯨(北海道のによる製品)、かぶら骨 頭部の軟骨 などが挙げられている。 他に、現在の、、や、、の一部、の北部などが伝統的に行われている地方では、古くからイルカ肉も流通している。 大型のクジラの鯨肉に比べると地域性の強い食文化であり、特にそれらの地域では重要な地位にあったといえる。 では古くから隣接する静岡県からイルカ肉が流通している。 (沖縄において鯨類は「ピトゥ」という表現でイルカと区別がなかったのでイルカだけに限定されていたかは定かではない) 外食産業 [ ] 東京都内の江戸時代から続く鍋料理店では、160年間以上にわたり「鯨汁」を提供し続けている店もある。 江戸時代の城下では、どじょう鍋屋(柳川鍋ともいう)で鯨汁が出されるのが一般的で、一説では一番小さな魚料理のドジョウ鍋に対しての洒落から一番大きな魚の鯨汁を提供したといわれ、だいたいどの店でもどじょう汁と鯨汁は同じ値段で十六文で売られていた。 明治末期にはどじょう汁が一五、鯨汁は二銭五厘であった。 昭和以降の需要供給、流通 [ ] 地域的な利用差がある状況は、終結まで基本的には変化が無く続いた。 日本近海で操業する捕鯨船が日本で鯨肉を販売して利益を上げていたことなどから、を中心に一定の需要はあったものと考えられる。 消費の多い大阪へははるばる北海道からの輸送も行われていた。 他方、においては一部の沿岸地域を除いて鯨肉食は広まらず、捕鯨会社の肝いりで東京に開かれた鯨肉料理専門店が繁盛せずにした例もある。 それでも全体として見ると鯨肉食はさらに広まっていたようで、現存する統計の範囲で比較すると鯨肉生産量は1924年には1万トンであったのが、1930年には3万トン、1939年には4万5千トンに伸びている。 なお、鯨肉食の文化の無い地域を対象に、捕鯨産業の振興策の一環として鯨肉利用の宣伝が行われたこともあった。 9年 には、日本もの捕鯨に参入した。 当初は沿岸捕鯨で生産される鯨肉価格への悪影響を考慮して製品の持ち帰りを制限したうえ、日本では冷凍設備が未発達であったことから赤肉はほとんど利用されず廃棄された。 が激化すると食糧増産の要請から鯨肉の持ち帰り制限が緩和され、日本最初の大型冷凍船も導入されるなどしたが、開始により南極海捕鯨自体が停止に追い込まれた。 他方、沿岸捕鯨による鯨肉供給は戦時中も続いていた。 第二次世界大戦後の食糧難時代以降になると、流通保存技術の進歩もあって限られた流通圏を越え、日本中に鯨肉食が広まった。 鯨、鯨ステーキ、鯨などの鯨肉料理の大半は、やの入手が困難だった時代に、鯨肉を代用獣肉という位置づけの食材として使ったものである。 戦後しばらくは、鯨肉は魚肉製品とともに安価な代用肉の代名詞であり、日本人の重要な源として食生活の中で重要な位置を占めた。 75kg)以上のストック(約三億円相当)が貯まった。 会社側は販路開拓を行い、にとして輸出することに成功している。 その後も生産量は大きく伸び1958年には13万8千トン、ピークの1962年には22万6千トンであった。 戦後を生き抜いた人々の間では「鯨肉=代用=安物」といった偏見・嫌悪感もある一方で、当時へのを惹起する食材でもある。 特に鯨の竜田揚げは、戦後の学校給食を代表するメニューとして語られる。 「鯨の」と給食のメニュー表に表記する学校もあった。 1970年代まで大半の小・中学校で一般的だったが一時激減し、1987年の南極海での商業捕鯨中止などでさらに激減した。 2017年の雑誌の記事に掲載された日本鯨類研究所の広報課の証言によると、1987年のに日本は反対したが、アメリカから「反対するなら、アメリカの周辺の海でをとらせない」と圧力を掛けられ、異議申し立てを撤回せざるをえなかった。 近年は急速冷凍の技術が発達したことにより、や韓国風生肉料理として供されることも多い。 使われる鯨肉は南極海で捕れたなどで、メニューは竜田揚げが目立ち、カツやなどでつくるあえなどがある。 背景には、調査捕鯨で捕獲した在庫がだぶつき、消費拡大のため給食用に割安で提供されていることや、食文化の継承の為という意味があるとされる。 2016年度の和歌山県の公立小学校では、30あるうち22の市町で鯨肉の献立の給食を実施した。 1校あたり年間1回から5回程度で、メニューは主に竜田揚げであった。 かつて捕鯨基地のあった山口県の場合は、下関市農林水産振興部水産課によると、2016年度は年12回、月1回の割合で鯨肉の給食を実施、12回のうち半分は全市一斉で、残りの6回は各地域ごとの実施になった。 献立の1番人気のメニューは竜田揚げであり、鯨カレー、鯨の炊き込みごはんなども提供。 給食は学校保健給食課の管轄で、本来は水産課が関わるところではないが、学校給食で鯨肉を食べてもらいたいとの思いから、水産課で鯨肉購入などの支援をしている。 2019年7月の日本の商業捕鯨再開に際し、が設定した年間捕獲枠は、ミンククジラ171頭、ニタリクジラ187頭、イワシクジラ25頭となっており 、鯨体の大きさ・得られる肉の量から、当面日本で流通する鯨肉はニタリクジラ肉が中心となる。 評価 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年12月) 日本における魚介類・獣肉類の流通・消費形態は、明治期以降著しく変化している。 かつては、新鮮なが食べられる地域は、海に囲まれた日本でも多いとは言いがたかった。 大坂(現在の)のように海に面した土地でも、、などの加工を施した食品が多く、でもやなどのが目立った。 しかし、やに対する羨望は江戸のみならず京都でも同じで、当時では見向きもされなかった「(ハモ)」が「活魚」として運ぶ事が出来たので京都に鱧料理文化が花開いたといわれる。 (川魚はあったが量が少ない上に生食には適さず、琵琶湖の魚もなどの加工されたものが主であった) 鮮魚の流通は少なく鯨や魚も食材ではなくその他の利用が多かったとする論評 [ ] 海から遠い地方ほど、食品としての水産品は貴重な存在であり、加工品であっても行事のときにそれらをハレの食膳に上らせることができるのは大きなステータスであったと考えられる。 ただ、行事等の機会に通常食べることのできない貴重な食品を食べるのは、単なる贅沢というだけではなく、栄養補給の機会を設けるという意味もあった。 におけるの伝統的な位置付けも同様(常食できるようになったのはかなり新しい時代)である。 鯨肉も保存、加工が難しいこともあって、広く流通していたわけではなかった。 したがって、鯨油を灯油や防虫資材として各地へ供給する一方、肉は主として地元で消費するといった形になったとされる。 海から著しく隔たった山村等の一部で、鯨肉の塩蔵品等が貴重視され、行事のときの料理に使う習慣が受け継がれてきた地域が存在する。 なお、鰯の場合、江戸時代に生産などが盛んになって以後は、流通量的には油を絞った残りの利用としての肥料{魚肥類(肥料)鰯など油を絞った残りかす}が主体だったようである。 鮮魚類が大量に流通・消費され、漁村に大きな利益をもたらすようになるのは明治期以降、保存技術が進歩してからのことである。 鮮魚の流通は多く鯨や魚も食材としての利用が多かったとする論評 [ ] もっとも、明治以前においても、江戸時代の経済発展に伴い、水運路の整備のため東北地方から九州まで河川改修が進み、物資の流通は飛躍的に伸びてはいた。 水運記録によれば、東北から九州まで幅広く魚の干物や鮮魚の流通があったことは事実であり、主に海浜から内陸部に運ばれていたようである。 特に生鮮食料品(鮮魚も含む)は真夜中の通関を許すほどの気の使いようで、関所では頻繁に夜勤をしていた。 上りは海の幸などを積み、下りは山の幸を積んでいたので、日本全国で物資の偏りは相対的に少なくなった。 例えば、鰯の輸送記録を見ても、明確に干物や魚肥類(肥料)とは区別されて鮮魚が存在している。 鯨肉の流通 [ ] 日本での流通 [ ] 生産者から一般小売まで [ ] で鯨肉を商う様子。 (2008年) 2017年時点の日本では、3000トンの鯨肉が生産され、1000トンを輸入している。 やされた鯨肉の存在を主張する見解もあるが、を最後に検挙事例はない。 後述のように、では密漁が行われて、検挙されている。 調査捕鯨の副産物は、調査捕鯨の実施主体であるが卸元である。 市販用と公益用の区分があり、一般流通に回る市販用が生産量の8割以上を占める。 市販用については、従来は、調査捕鯨の実務を委託されている日本共同船舶株式会社を通じ、各都道府県のでの販売などが行われてきた。 からは、鯨肉市場開拓などを目的とした新設の「鯨食ラボ」も加わって、新たな販路が検討されている。 もっとも市販用といっても完全に自由な流通に委ねられてはおらず、各卸売市場への配分は過去の消費実績などを基にや有識者による検討で決定され、その後も公的性格を有する産品として総合食料局流通課による指導の下で取引されている。 その際には「なるべく公平かつ廉価に配分されるよう努めるもの」とされている。 ごとに価格決定されて、用などの鮮肉のほか、ベーコンや、の具材などの加工原料として流通する。 流通過程では遠洋漁業水産物一般と同様、ほとんどは冷凍状態で保存管理されるが、沿岸調査副産物の一部 100トン弱 は生鮮品としても流通している。 最終的にはスーパーマーケットなどの商店で販売されるほか、などを通じたを行う小売業者も存在する。 前出の鯨食ラボ社も、インターネット上で直営の通信販売事業を行っている。 の房総半島の伝統食のように、地域の特産品となり、土産物として販売される例もある。 牛肉・豚肉・以外で「食べてみたい肉」の1位(43. 生産量は両漁業をあわせて類300トン強、イルカ類1000トン弱である。 もっとも、時おり遠隔地まで流通する場合があり、伝統的に静岡からの流通があるのほか、内のスーパーマーケットなどでも魚肉コーナーで販売されていることがある。 についてはでの利用が比較的多い。 単に「鯨肉」と表示されてしまう場合もあるため、特にイルカ肉と認識されないで消費されることもあると思われる。 ただし、これは現在では上において不適切な表示にあたる。 鯨肉の小売価格は、かつてに比べると非常に高騰している。 その原因は、商業捕鯨禁止ではなく、産業構造によるものだとする見解もある [ ]。 それでも、調査捕鯨の副産物の卸売価格は、生産量の拡大と需要喚起の観点から近年は低く設定される傾向にある。 なお、小型捕鯨業では、伝統的に捕鯨従事者への一種の現物支給として鯨肉分配がされる習慣があり、現在でも一部でそうした利用が継続している。 周辺住民が解体場で骨に残った肉をはぎ取って安価で貰い受ける伝統的な消費形態も、少なくとも1990年代後半までは千葉県で続いていた。 外食産業等 [ ] 各地の老舗をはじめ鯨料理の専門店が存在するほか、捕鯨文化がある漁師町では鯨料理がとして提供されることもある(例:和歌山県の)。 またなどがメニューの一つとして取り入れている例もある。 ただ、不況や高価格化により客足が遠のき、閉店に追い込まれる専門店も出ている。 ほか、公益用として流通した調査捕鯨副産物はでも利用され、消費拡大政策もあり、広がる傾向を見せている。 供給過多との指摘 [ ] 上半期には、国内における鯨肉の供給過多(だぶつき状態)が各紙で報道されている。 1月30日 - 「『クジラ』在庫 10 年間で倍増 調査捕鯨拡大で供給過多」• 2月11日 - 「鯨肉の在庫、調査捕鯨拡大で増加 水産庁が消費拡大に」• 9月5日 - 「意外にダブつく『忘れられた味』 クジラ どんどん売り込め!」 ただし、上記の記事で倍増とされているのは、物流在庫などをまとめた「流通在庫」である点に注意が必要である。 流通総量が増加しているのに伴い物流在庫も増えるので、単純な比較はできない。 日本捕鯨協会は、「倍増した」とされるのはピーク時の在庫量であるが、これは調査捕鯨規模の拡大から当然のことと反論している。 そして、翌年には在庫量が前年並みに減少していることからすると、むしろ消費量自体は増えていると指摘する。 さらに、在庫の比率や推移も、主力の調査捕鯨副産物は年に2回しか入荷しないという特殊性を考えれば自然であり、報道は誤解を招く内容であると批判している。 と関連して争点となることがある。 日本以外での流通 [ ] 現在でも近代的な捕鯨を継続しているノルウェーやアイスランドのほか、先住民生存捕鯨枠などによって捕鯨を認められている先住民らは、それぞれ鯨肉を消費している。 インドネシアのでは、捕鯨民と農耕民のによる伝統的な流通が行われている。 では、積極的な捕鯨は禁止する一方で、などで混獲されたクジラやの鯨肉は、流通が許可されている。 、、、などに合わせて100件余りの鯨肉料理専門店がある。 韓国の国内流通量は年間400頭と推定されるが、そのうち合法的な混獲・座礁鯨は200頭のみで、残りは密漁されたクジラ類であると見られている。 2008年1月には、ミンククジラを中心に約60頭分の違法鯨肉が押収される事件があった。 法的規制 [ ] 絶滅の恐れがあるとされる一部の種類については、によって国際的な商業取引や海からの持ち込みが禁止されている。 これに基づき加盟国の国内法による規制措置が取られており、日本でも「」が該当する。 ただし、日本は、ミンククジラなどについては条約にを行っていて禁止条項の適用を受けない。 なお、調査捕鯨の副産物についても主として商業目的でないので違反しないとしている。 (詳細はを参照) また、独自の国内法によって鯨肉の取引や消費を禁止している国もある。 例えば、米国では1972年制定の ()によって鯨肉の販売が禁止されており、2010年にはイワシクジラの鯨肉を提供したとして、の店が訴追された。 栄養価 [ ] Whale, beluga, meat, raw Alaska Native 100 gあたりの栄養価 111 kcal 460 kJ 鯨種と食味 [ ] 鯨肉には鯨の種類ごとに様々な味わいがあると言われる。 しばしば「鯨肉」として同一に扱われるが、クジラが生物学的にはクジラ目に属する多くの種の総称であることを考えると、もも同じ「の魚」として同一に扱うのに近いと言える。 もっとも美味・不味の判断は個々人の主観や文化・環境などによるところが大きいので、以下に述べるのはあくまで一般論である(さらに部位ごとにも味は異なるが、これは後述のを参照)。 食味は、まず大きく「(、、類など)」と「(、、、など)」で異なる。 これは食性が根本的に異なる為である。 更にそれぞれの種で生態も異なり、それに伴い食味も異なっている。 このうち、ハクジラに属するマッコウクジラは、日本では目的でが行われた地域の食材として使われたことはあるものの、きわめて強いクセを持っていることから、基本的には食用には適さないとされる(世界的にもの一部などを除き、ほとんど食用とはされない)。 もっとも、日本では鯨皮から鯨油を絞った残りかすの「」については食用の習慣がある。 なお、油脂の成分()が消化しにくいので、油抜きをしないで一度に大量に食するとを起す可能性がある。 同じ深海棲のツチクジラの油脂も機械油として利用され、過剰摂取では下痢を起こす可能性がある。 また、同じくハクジラに属するツチクジラやイルカ類も、マッコウクジラほどではないが総じてクセが強く、地域や個人により嗜好が強く分かれるとされる。 例えば、のでは、主たる捕獲対象種はヒゲクジラ類だったがハクジラ類のも伝統的に食用として好まれてきた。 古くからツチクジラ漁で知られるの外房地域では、基本的に「血抜き」をせず「血を味わう」と表現されたりもするものであり、あえてクセの強さが強調されている。 また沖縄においても血と共に肉を炒めるといった積極的に血を利用する料理もある。 これに対して、ヒゲクジラに属する鯨類の肉は、ハクジラ類よりは味のクセが少なくなどに近い食味であるとされる。 赤身については特にに近いとの評があり、実際に馬肉を鯨肉と詐称して販売していた例が報告されている。 ただしヒゲクジラ類の中でも、鯨種によってかなりの差がある。 例えば、現在最も多く流通するミンククジラ は、肉の繊維が細やかであると評される一方、小型の鯨種であり、相対的に脂肪の乗りが少なく尾身などの珍重部位もあまり採れない。 ナガスとミンクの中間ぐらいのイワシクジラやニタリクジラはから食用にも供されてきた種類で、鯨肉の生産効率が高い。 大型のナガスクジラの尾の身、さえずりは、脂の乗りが良く高級品として扱われる。 鯨肉の旬 [ ] 野生生物を食用とする多くの場合と同じように、鯨肉にもがあり、同じ種類でも季節によって味わいが異なる場合がある。 例えば、南極海のヒゲクジラ類については、採餌海域である南極海に回遊してきて間もない時期には痩せて脂肪の乗りが少なく、長期間滞在するうちに脂肪が豊富になるといわれる。 イルカについては日本では冬が旬といわれ、冬のともなっている。 鯨肉の汚染問題 [ ] 詳細は「」を参照 により人体に有害なや PCB 類などがクジラの体内に蓄積されているので、鯨肉は汚染されているとの指摘があり、一部の国では妊婦に対して摂食制限が行われた。 日本でも、の含有濃度が高いハクジラ類については、など他の魚介類と並んで、を対象とした摂取量に関するガイドラインが定められた。 他方、ヒゲクジラ類については比較的有害物質の含有濃度は低く、特にで捕獲されたものに関してはほとんど蓄積が無いことから、制限はない。 ハクジラ類についても、あくまで妊婦のみを対象とした一定量への制限に留まり、一般人の摂食については幼児や授乳中の母親なども含め問題ないとされている。 なお、調査捕鯨副産物については調査の一環として試験が行われており、一定の安全基準を超えた個体は流通させない。 食用以外の鯨肉の利用 [ ] 鯨肉は、食用以外の工業資源としても利用された。 鯨由来物の工業資源としての利用としてはが代表例ではあるが、鯨肉も例外ではない。 ( も参照) 日本では 鯨肥と呼ばれるの原料として使用された。 鯨肉・鯨骨・鯨皮などを煮て石などで粉砕したものであり、鰯肥などと同様の海産肥料として使われた。 江戸時代から鯨油の絞り粕の再利用等として行われている。 明治時代以降に近代捕鯨基地として使われた鮎川浜(現・)などでは、鯨肥生産が地場産業として栄えていた。 鮎川浜の場合、食用に適さないマッコウクジラが対象鯨種であったことなどから食用とされた鯨肉はごく一部であり、余剰鯨肉が生じていた。 これらは当初は海洋投棄されていたが、周辺海面を汚染するとして地元漁民の反発を受けたこともあって工業資源化され成功したものである。 脚注 [ ] []• [食べなはれ関西]鯨料理「徳家」女将、大西睦子さん 1997. 01 毎日新聞 大阪朝刊 11頁 特集 写図有 全742字• の捕鯨も参照• 「クジラの世界」イヴ・コア著、宮崎信之監修 創元社 1991年 85頁• による稲作の神聖視からの戒律を利用したという説がある。 高橋覚「捕鯨業で民衆を支えた醍醐新兵衛」『千葉史学』20号、1992年。 「陽の目を見た鯨肉」『日本経済新聞』昭和25年8月3日3面• 『南氷洋産鯨肉に関する研究報告 1950-51年度』、1951年、水産庁、p. (国会図書館蔵)• 2019年7月1日付読売新聞• 水産庁. 2020年3月13日閲覧。 イギリスの環境保護団体が日本でに密輸鯨肉を発見したとIWCで報告した。 しかし、その後のDNA調査で国内の合法捕獲製品と判明している。 また、に科学雑誌『』に大阪で販売された鯨肉からシロナガスクジラの遺伝子が検出された事で「日本でシロナガスクジラの肉が売られている」という論文が掲載された事がある、参照。 2019年4月11日閲覧。 「新クジラ もうすぐ出回り」『』2018年4月30日(フード面)• 「」2010年3月13日• 日本捕鯨協会「」• 「」聯合ニュース2008年1月11日• 「」、2010年3月11日。 ちなみに海洋哺乳類全体に適用される法であり、鯨以外のでも同様の罪に問われる。 Agricultural Research Service , United States Department of Agriculture , National Nutrient Database for Standard Reference , Release 26• 日本捕鯨協会 - 勇魚・勇魚通信 - 勇魚通信 vol. (ドット)• 2013. 20 - MSN産経ニュース• なお、の一局面として考える際にも、に必要とされる系統群・地域系群などの違いによって議論の方向性が大きく異なるため、やはり「鯨肉」とまとめて扱うのは困難である。 日本で捕獲されはじめたのは17世紀と見られるがナガスクジラなどと混同されていたようで、独立種として捕獲が記録されるのは1920年代であり、主にミンク船と通称される沿岸用の小型捕鯨船により捕獲されてきた。 1950年代以降1987年までは、量に変動はあるものの年間200〜500頭が捕獲されている。 ただ、同時期の日本の捕鯨全体では、より大型の鯨が主たる捕獲対象種であった。 1970年代になり大型鯨類の捕鯨が制限されるようになってから改めて着目され、南極海でも捕獲されるようになっている。 (水産総合研究センター )• ヒゲクジラ類は一年のうち採食海域での3〜5ヶ月に食事をして脂肪を溜め、他の期間は、ほぼ絶食状態になる為。 ハクジラ類は海洋の食物連鎖のほぼ末端に位置し、食物段階も高い為、高濃度の汚染物質が蓄積する。 それに対しヒゲクジラ類はプランクトンや小魚を常食にする為にが低く、汚染の影響を受けにくいため。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 先住民生存捕鯨•

次の

鯨の刺身がこんなに美味しいとは…!鯨肉を使った料理の数々が安くて旨い梅田「くじらや」に感激した

鯨料理 大阪

歴史 [ ] 創業から商業捕鯨禁止まで [ ] 創業。 女将の大西睦子が、母親が営業していた料亭を再興したい一心で「ふぐ料理店」を始めたのが徳家の始まりである。 大西は料亭の三女として大阪市で生まれ育ち 、中退後、結婚を機に千日前に出店した。 大西は24歳であった。 夫はの魚屋の次男だった。 店は7坪ほどの小さなものであった。 しかし「ふぐ料理店」での来客は芳しくなく、母親より鯨肉専門店への転換を勧められる。 元々、大阪は直後まで、日本の鯨肉の7割を消費していた土地柄で 、大西自身も幼少時は、鯨肉を使ったやを食べていた。 当時のは安価で、一般市民にも親しまれた食材であったが 、鯨肉を専門に扱う料理店は大阪にも少なく、「おでん屋」で 、 が重宝されている程度だったためである。 鯨肉は甘辛い味付けがなされることが多かったが 、酒に合うように薄味スープを使って考案した鯨肉鍋は「ハリハリ鍋」と呼ばれ名物となった。 スープはの効いた特製だしで、そこにたっぷりのと鯨の赤身を入れて炊いた。 鯨肉は毎朝市場で仕入れ、の多い「尾の身」だけを使用した。 「尾の身」とは、鯨の体の立羽(背びれ)附近から尾までの肉で、鯨の肉で最も美味しく最も高価とされる部分である。 鯨のは、スープの染み込みを良くするために、客に提供する前にをまぶした後に一度湯がいて下ごしらえした。 水菜は「ハリハリ鍋」の語源にもなったように 、煮えすぎて歯ごたえを損なわないように少量ずつ鍋に投入するように客に指導していた。 まだ当時はの周辺でも農業が行われており、の向こうには水菜を植えた畑が広がっていた。 スープも改良を重ね、昆布とカツオブシで出汁をとり、薄口醤油で味を調える。 も質の良いものを厳選していた。 鍋に加えるには産のを使った。 ハラペーニョは隠し味として使われ、鯨肉の臭みを消して、後味を爽やかにする効果があった。 具は、鯨肉と水菜、豆腐、シイタケ、餅、おばコロ(貴重なヒレのコロ)だけであった。 食べた後はやご飯を入れてにする客も多かった。 うどんも汁の味が染みやすいように細めのうどんを選んだ。 創業時約20席だった店は、手狭になり約80席になった。 「くじら」の「9」に掛けた毎月9日は、近所の寺院でを開催し続けた。 商業捕鯨禁止期間 [ ] 、(IWC)は、捕鯨の一時停止(モラトリアム)を決定した。 日本がから撤退。 これにより市場に流通する鯨肉は激減 、で入手した・の鯨肉を入手して料理したが 、1980年代に1人前400円だったハリハリ鍋も800円、1000円と徐々に値上げせざるを得なくなった。 商業捕鯨が禁止されて4年後のからは、「鯨の味を忘れないで」という意味を込めて、大阪ので採算無視の鯨料理イベント「鯨まつり」を毎春開催した。 その行動力がが理事長を務める商業捕鯨再開運動団体「」の目にとまり、オブザーバーに指名される。 日本の鯨文化の継承に危機感を持った大西は、再開は自分に与えられた使命と考え、1990年代からIWCの会議にオブザーバーとして10回以上参加し、鯨食の魅力や捕鯨の必要性を訴えた。 しかしそこで大西は反捕鯨団体の嘲笑や日本の説明を聴こうとしない態度に直面し、捕鯨を取り巻く状況の厳しさを知る。 開催のでのIWC年次会議の会場となった「ホテル・サガ」 では、大西みずから参加者に鯨肉料理を振舞った。 現地アイスランドの捕鯨業者提供の冷凍ナガスクジラ12kgを元に、「尾の身」と赤身の刺し身、竜田揚げ、ステーキ、鯨肉入りうどんなどを作り、レイ・ギャンベル(Ray Gambell)IWC事務局長および、、、、のIWC代表委員や記者44人が参加し好評を得た。 費用の30万円は大西の自己負担であった。 招待した国で来場しなかったのはアメリカだけであった。 レイ・ギャンベルも「実にうまい。 東京へ行くたびに鯨肉レストランへ寄るが、いつ食べてもうまい」と上機嫌であった。 元々は、総会開催期間中の1991年05月30日に鯨肉試食会をする予定であり、大西はホテル側と場所と人材の手配の交渉を済ませていたが、日本の代表団が捕鯨反対国を刺激しないために総会終了後の開催を要請し、6月2日に変更された。 捕鯨に反対するは試食会会場には来なかったが、メンバー1人がレストランを訪れ鯨の刺身とステーキを食べ、匿名を条件に「ベリーグット」と言い残して去った。 には日本の鯨料理専門店は10店舗に減った。 商業捕鯨をしていた時代の在庫の肉も少なくなり価格は高騰。 上質の赤身でキロ1万円、「尾の身」はキロ4万5000円にもなった。 には徳家でのハリハリ鍋の値段は1人前4000円となった。 値段は高くなったが、調査捕鯨で供給される鯨肉は小型のミンク鯨だけになり、味は落ちた。 一番美味しいとされるナガス鯨の肉は入手できなくなった。 「尾の身」も新規の入荷が無くなり、冷凍庫に保管している在庫のみになった。 12月1日からは、ビルの3階スペースを使って「徳徳亭『毎日寄席』」というが始まった。 の、、のら企画に賛同した15人が日替わりで午後3時から日替わりで約1時間公演し、午後4時からは鯨刺し身、鯨竜田揚げ、ビールなどが振舞われた。 企画はの社長だった。 鯨食文化は大阪の大切な食文化であると、鳥居社長と意気投合しての開催であった。 また若手芸人の活躍の場を設ける意味もあった。 には、サエズリが以前の10倍の値段になった。 コロも以前はに山積みで販売されていたものが、日本全体で1年間に鯨1頭分のコロしか流通しなくなり、手の平程度の大きさで5000円を超える高級食材になった。 3月31日にはででの調査捕鯨を禁止する判決が出される。 大西は「困ったことになった。 商業捕鯨再開に向けて取り組んでいる中での今回の判決で、日本への影響は計り知れない 」「商業捕鯨が一時中止が決まった直後と同じ気分、かつては店頭に安価で並び庶民の味だった鯨肉だから大事な日本の食文化を守りたい 」とコメントした。 この頃は、捕鯨国のからの輸入の冷凍鯨肉を使ってしのいでいた。 2015年には書籍「徳家秘伝 鯨料理の本」を執筆し、同時に英語訳版も発売した。 2016年に開設した店のホームページには、なぜ一律な商業捕鯨の禁止が不当なのか、なぜ商業捕鯨再開が必要なのかを訴える「Q and A」が掲載されていた。 閉店 [ ] 12月、日本はIWC脱退を通告。 大西は「寝耳に水で驚いたが、ようやく次世代に鯨食文化を継承することができる」と語った。 一定の社会的責任を果たしたと感じた大西は、2019年5月25日で店を閉じる決定をする。 大西は76歳になっており 、後継者がいないことも要因だった。 鯨供養も2019年5月9日が最後となった。 最後の鯨供養では、大西は関係者に「本当にありがとうございました」と挨拶して回り、鯨肉が昔のように一般家庭の家庭の食卓に並ぶ日が楽しみと語った。 最終日の25日はなじみの客らの予約で満席だった。 閉店当時のハリハリ鍋の値段は、1人前3600円であった。 他にも皮くじら 800円、脂須の子 2,000円、赤身本皮盛合せ 1,000円、さえずり煮 1,200円などのメニューがあった。 7月から日本近海の商業捕鯨が約30年ぶりに再開された。 書籍 [ ]• 大西睦子 「徳家秘伝 鯨料理の本」 1995年 所在地 [ ] 〒542-0074 大阪府大阪市中央区千1丁目7番地11号 上方ビル2F アクセス [ ]• なんば駅 徒歩8分• 日本橋駅 徒歩5分 特記事項 [ ]• 鯨のサエズリが良く食べられるようになったのは1980-1990年頃からで、大西がサエズリの味の魅力を広めたとも言われる。 注釈 [ ]• の脂肪の多い皮から油を抽出した残りカス• 鯨の舌のこと。 干物で提供され水でもどして料理されることが多い• 「Radisson Blu Saga Hotel」 Hagatorg, Reykjavik 107, Iceland• レイ・ギャンベルは日本の調査捕鯨に賛成の立場であり、その調査報告を評価していた。 からの間IWC英国代表団の科学顧問などを務める。 5月にIWC事務局長に就任し、9月に退任。 に鯨類保護と生物学での貢献に対し、より勲章を授与される。 著作・論文が多数ある。 大西には長男がいたが、店は継承しなかった 出典 [ ]• 2020年7月12日閲覧。 2020年7月12日閲覧。 共同通信. 2019年5月25日. の2019年5月25日時点におけるアーカイブ。 2019年7月13日閲覧。 馬場美智, 「」『調理科学』 14巻 1号 1981年 p. 33-35, :• 「時期悪い」と鯨肉試食会中止 レイキャビクの国際捕鯨委で「食文化守る会」1991年05月31日 毎日新聞 東京夕刊 14頁 社会 全278字• 徳家はビル2階、トリイホールは同じビルの4階であった• 捕鯨の町 ・ 中止命令に「まさか」2014年04月01日 す・またん! 報道/ニュース/ニュース 株式会社ワイヤーアクション 全325字 [ ]• 調査捕鯨にNO 日本敗訴 鯨料理店 太地町の反応は 2014年04月01日 よみうりテレビ かんさい情報ネットten. 一般実用/ニュース/ニュース 全243字 株式会社ワイヤーアクション [ ]• 徳家秘伝 鯨料理の本 大西 睦子 1995年 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

次の