キャサリン オブ アラゴン。 ヘンリー8世妃アン・オブ・クレーヴズ(アンナ・フォン・クレーフェ)が着る1530年代のハイ・ファッション

ヘンリー8世、6人の妻たちの愛憎劇

キャサリン オブ アラゴン

ヘンリー8世より6歳年上。 教養もあり、思慮深い良妻だった。 離婚後、反ヘンリー8世勢力とともに、自分の名誉とカトリック巻き返しのために戦うことも可能だったが、英国に内乱が起こるのを好まず、イングランド王妃としてでなく、「Princess Dowager of Wales」の名で逝去することに甘んじた。 ピータバラ・アビーに埋葬された。 6人の子どもを出産。 うちふたりは男子だったが、ともに生後2ヵ月も生き長らえることはできなかった。 成人したのは、次女のメアリー(後のメアリー1世)のみ。 このメアリーはカトリック教徒として育ち、即位後にスペイン王フェリペ2世と結婚、プロテスタントを迫害し、イングランドを一時、スペインの属国のような立場におとしいれ、ヘンリー8世が築いたものを台無しにするところだった。 意識していなかったかもしれないが、母を裏切ったヘンリーへの復讐だったのかもしれない。 フランス王ルイ7世のもとに嫁いだ、ヘンリー8世の妹メアリーに仕えるべく、12歳ごろ渡仏。 ルイ7世が逝去し、メアリーがイングランドに戻ってからもアンは6~7年、フランス宮廷に留まった。 ここでフランス語はいうまでもなく、洗練されたみのこなし、マナー、男性の「あしらい方」などを身につけたとされる。 左手に指が6本あったというのは有名な話。 中肉中背、髪も瞳も濃いブラウン、肌も白くなく、金髪碧眼で色白という美人の条件は満たしていなかったが、男性をひきつけるオーラを発していたようだ。 1521年ごろ、イングランドに帰国。 ヘンリー8世と初めて会ったのは1526年とされる。 それまでにアン自身も結婚を経験したがうまくいかなかった。 きわめて現実的な結婚観を抱いており、その後も安定した生活を求めて、裕福な貴族とつきあうなどしていた。 ヘンリー8世に見初められた際も、国王の愛人に甘んじた実姉のメアリーのようになるのはまっぴら、と確固たる信念を持っていた。 手紙を書くのが大嫌いだったヘンリー8世だが、アンに拒まれて、ますます恋心をつのらせ、ラブレターを頻繁に送ったという。 そのうちの17通は今もヴァチカン図書館に保存されている。 1532年、ようやくヘンリー8世の思いは実り、アンはその年の暮れに懐妊。 この子どもを嫡子にすべく、宗教改革が行なわれるわけだが、ご存知の通り、生まれたのは女の子(のちのエリザベス1世)だった。 1534年、再び懐妊するも流産(または死産)。 1535年、3度目の正直で懐妊したものの、やはり流産。 しかも、これは男の赤ちゃんだった。 もともと、気性が激しく、口も達者なアンがヘンリー8世から疎まれ始めるのは、この流産後だったとみていいだろう。 1536年、実兄ジョージらに続き、反逆罪(不貞は王に対する反逆。 ただ、この不貞の罪は、「でっちあげ」だったとされる)で捕らえられ、ロンドン塔に送られたアンは、タワー・グリーンで処刑され、同じ敷地内の聖ピーター・アド・ヴィンクラ礼拝堂に埋葬された。 処刑が非公開(通常は「見世物」。 処刑見物は民衆の娯楽だった)で行なわれたのは、せめてもの慰めとなったに違いない。 アン・ブリンに仕える女性のひとりだったジェーンが、ヘンリー8世に見初められたのは、1535年ごろのこと。 1536年、アンの処刑から数えてわずか11日後にヘンリー8世と結婚。 翌年、10月12日、ハンプトン・コート宮殿で待望の男子を出産。 15日には、この新生児とは異母きょうだいになるメアリー、エリザベスも臨席させて洗礼の儀式が行なわれた。 出産後の疲労と産じょく熱に悩まされたジェーンは、このセレモニーには出席できたものの体力は回復せず、その9日後にこの世を去った。 ヘンリー8世は、ウィンザー城の聖ジョージ・チャペルにすでに墓を用意しており、ジェーンもそこに埋葬された。 同王と墓所をともにしているのは、このジェーンのみ。 ヘンリー8世と口論すらしたことがない、といわれるほど従順だったらしいこの女性は、男子を産み、惜しまれながら亡くなることにより、ヘンリー8世からの愛を永遠のものにしたのだった。 ヴァチカンから破門されたイングランドは国際社会で孤立しがちだった。 ジェーン・シーモアの死後、2年間、独身のままでいたヘンリー8世だったが、プロテスタントの有力勢力と手を結ぶ必要があった。 側近のトーマス・クロムウェルが白羽の矢を立てたのは、クリーヴズ公の娘、アメリアとアン。 カメラなどなかった当時、頼るは肖像画のみ。 宮廷画家、ハンス・ホルバインがクリーヴズ公のもとに送られ、ふたりの娘の肖像画を描いて持ち帰った。 これにより、アンが花嫁として選ばれるのだが、実際にイングランドにやってきたアンはヘンリーの意にそぐわなかった。 音楽も、文学も、当時のヘンリー8世の宮廷で流行していたものには通じておらず、「フランダースの雌馬」というあだなまで与えられたアンだったが、クリーヴズ公の機嫌をそこなわないよう、離婚の理由探しには細心の注意が払われた。 結局、アンが以前に破棄した婚約が、まだ実は有効だったという苦しい理由で離婚成立。 賢明だったアンはこれを受け入れ、ヒーヴァー城(アン・ブリンの育った城/スコットランド・エディンバラ)などを与えられ、カントリーサイドで静かに余生を送った。 逝去後はウェストミンスター・アビーに葬られた。 ヘンリー8世の側近でプロテスタント派のトーマス・クロムウェルの政敵であった、ノーフォーク公に利用され、「イングランド王妃」の真の意味など理解することなくヘンリー8世と19歳で結婚。 魅力的なティーンエイジャーではあったが、お世辞にも貞淑とはいえず、奔放な性格だった。 当時、既に性的不能に陥っていたとの説もあるヘンリー8世の目を盗み、愚かにも不貞(王に対する反逆罪)を重ねてやがて処刑されてしまう。 処刑直前、イングランド王妃としてより「カルペパー(不倫相手のひとり)の妻として死にたい」と叫んだとされる。 アン・ブリンと同じタワー・グリーンで処刑され、同敷地内の聖ピーター・アド・ヴィンクラ礼拝堂に埋葬された。 ハンプトン・コート宮殿に幽霊として現れるという。 ますます気難しく、また、体が弱っていく晩年のヘンリー8世に尽くし、聡明で心優しく、いわゆる「よくできた」女性だった。 母親がヘンリー8世から離縁されたことにより「プリンセス」の称号を剥奪されていた、メアリー(1番目の妻、キャサリン・オブ・アラゴンの娘)とエリザベス(2番目の妻、アン・ブリンの娘)にも心を配り、ふたりの「復権」をはかり、のちの国王、エドワードや、レディ・ジェーン・グレイにも愛情を注いだという。 ヘンリー8世の死後、いったんは断った、トーマス・シーモアのプロポーズを受けて結婚。 1548年8月30日には、女子を出産するが、それから1週間もたたぬうちに逝去した。 ただでさえ短い結婚生活だったうえに、トーマス・シーモアが、当時預かっていた14歳のエリザベス(のちのエリザベス1世)を誘惑して一大スキャンダルを引き起こすなどし、心穏やかには過ごせなかったようだ。 最後まで、苦労人だったといえる。

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Giddy Ink• Jumping Joseph 放送 放送チャンネル 放送期間 2019年5月5日 2019-05-05 - 放送中 番組年表 前作 『』 『 スパニッシュ・プリンセス キャサリン・オブ・アラゴン物語』(原題: The Spanish Princess)は、2019年から放送されているのシリーズ。 2013年の『』、2017年の『』の続編にあたる。 本作はフィリップ・グレゴリーの小説『The King's Curse』『The Constant Princess』を基に製作された。 全16話のリミテッドシリーズで、アメリカでは前半の8エピソードが2019年5月5日からStarzで放送された。 後半の8エピソードは2020年秋の放送を予定している。 日本では、2020年4月からで日本語字幕・吹き替え版が配信された。 詳細は英語版「」を参照 メイン [ ]• () 役 -• () 役 -• ダニエル・セルケイラ• アーロン・コーバム• フィリップ・クンバス• アルバ・ガローチャ• ステファニー・レビジョン• ナディア・パークス• リチャード・ペッパー• オリー・リックス• () リカーリング [ ]• ママドゥ・ドゥンビア• アイラ・メリック・ローレス• モーガン・ジョーンズ• ニック・バーバー• ミミ・デ・ウィントン• アーサー・ベイトマン• マット・カー• () エピソード [ ] 通算 話数 タイトル 監督 脚本 放送日 U. 398 3 "だいそれた計画" "An Audacious Plan" Helen Childress 2019年5月19日 2019-05-19 0. 456 4 "ハリーを求めて" "The Battle for Harry" Daina Reid Nicki Renna 2019年5月26日 2019-05-26 0. 500 5 "心と義務のはざまで" "Heart Versus Duty" Lisa Clarke Andrea Thornton Bolden 2019年6月2日 2019-06-02 0. 546 6 "もてなしという名の監禁" "A Polite Kidnapping" Lisa Clarke Emma Frost 2019年6月9日 2019-06-09 0. 493 7 "すべて失くして" "All is Lost" Helen Childress 2019年6月16日 2019-06-16 0. 509 8 "運命の逆転" "Destiny" Stephen Woolfenden Emma Frost Matthew Graham 2019年6月23日 2019-06-23 0. 528 Part 2 9 未定 Chanya Button Emma Frost Matthew Graham 未定 TBD 10 未定 Chanya Button 未定 未定 TBD 11 未定 Chanya Button 未定 未定 TBD 12 未定 Lisa Clarke 未定 未定 TBD 13 未定 Lisa Clarke 未定 未定 TBD 14 未定 Lisa Clarke 未定 未定 TBD 15 未定 Rebecca Gatward 未定 未定 TBD 16 未定 Rebecca Gatward 未定 未定 TBD 製作 [ ] 2018年3月15日、Starzが本作の製作を発表。 エマ・フロストとマシュー・グラハムがショーランナーを務めることが決まった。 評価 [ ] 批評 [ ] 本作は批評家から高い評価を受けている。 13点となっている。 脚注 [ ] [] 出典 [ ]• Petski, Denise 2017年2月9日. Deadline. 2020年6月23日閲覧。 Apple TV. 2020年6月23日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年5月7日. Showbuzz Daily. 2019年5月7日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年5月14日. Showbuzz Daily. 2019年5月14日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年5月21日. Showbuzz Daily. 2019年5月21日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年5月29日. Showbuzz Daily. 2019年5月29日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年6月4日. Showbuzz Daily. 2019年6月4日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年6月11日. Showbuzz Daily. 2019年6月11日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年6月18日. Showbuzz Daily. 2019年6月18日閲覧。 Metcalf, Mitch 2019年6月25日. Showbuzz Daily. 2019年6月25日閲覧。 Petski, Denise 2018年3月15日. Deadline. 2020年6月23日閲覧。 英語 , 2020年6月23日閲覧。 , 2020年6月23日閲覧。 外部リンク [ ] で 「 スパニッシュ・プリンセス キャサリン・オブ・アラゴン物語」に関する情報が検索できます。 コモンズで ウィキデータの• (英語)• (日本語)• - (英語)• (2010年)• ()(2010年)• (2010年)• (2011年)• (2011年)• (2011年)• ()(2011-12年)• (2012年)• ()(2012-13年)• (2013年)• ()(2013-15年)• (2014-17年)• ()(2014-17年)• ()(2014-17年)• ()(2014-20年)• ()(2015-16年)• (2015-18年)• ()(2015年)• ()(2016年)• (2017年)• ()(2017-19年)• ()(2017年)• ()(2018-19年)• (2018年-20年)• (2019年)• (2019年).

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Mary 1世 (1516-58) このメアリー1世、「プロテスタントでいることが犯罪」だと、なんと286人を処刑したそう。 これが名誉ある?「ブラッディマリー」(血まみれのメアリー)と後世まで呼ばれるニックネームの所以なのです。 血に見立てたトマトジュースで作ったお酒のカクテル「 ブラディーマリー」の名前 は、 はここから来ているのです。 その詳細を知りたい方は、下の歴史をどうぞ。 【王位に就く】 時は1553年、ヘンリー8世 6 人の妻をめとった豪快な王 の後、その後王位を継承した体の弱いエドワード6世が風邪をこじらせ肺の病気でなくなると、メアリー1 世 ( ヘンリー8世の最初のお妃、スペイン人キャサリン・オブ・アラゴンとの間の王女・写真) が王位に就きました。 彼女の母親だったキャサリン・オブ・アラゴンが、ヘンリー8世と結婚した当時は、キリスト教は、ローマ・ カトリック教しかありませんでした。 しかし、浮気性のヘンリー8世、別の女性を好きなってしまい、どうしても離婚がしたい。 しかし、離婚が許されていないカトリック、離婚を訴えた裁判で負けてしまったヘンリー8世は、自分が党首の宗教を作ってしまった。 それ以来、プロテスタント派(新教)ができたのです。 自分の個人的な事情で宗教さえも創ってしまう、無敵の王、父であったヘンリー8世。 その後、頑迷なカトリック教徒であるメアリー1世が王位に就き、周囲の反対を押し切って、母親の国スペインのフィリップ2世と1554年結婚。 このメアリー1世、「プロテスタントでいることが犯罪」だと、なんと286人を処刑したそう。 これが名誉ある?「ブラッディマリー」(血まみれのメアリー)と後世まで呼ばれるニックネームの所以なのです。 (この冷血さは、父親譲り? ヘンリー8世も6人の妻の内、2人を斬首の刑にしています。 ) 血に見立てたトマトジュースで作ったお酒のカクテル「 ブラディーマリー」 は、 はここから来ているのですね。 彼女は即位した、たった五年後の1558年、病気で亡くなっています。 プロテスタント迫害が長く続かなくてよかったかも。 しかし在位5年、年間57人に殺していたことになり、その処刑法は火あぶりだったそうです。 あまり庶民に人気名のない女王だったらしいですが、不思議でないです。 【絵画の中のドレス】 ちなみに、このトップにご紹介した絵は、そのフィリップ2世との結婚式のすぐ後、1554年に描かれたそう。 ドレスと同生地でできた、ワイン色のベルベットのパートレット(チューダー時代の衣服、胸元と襟を覆うボレロのような物)の襟元から垂れる大きなダイヤモンドのネックレスには、これまた、58カラットあったという「La Peregrina」という名前が付いた、当時はごく希少な大きな黒真珠が付けられています。 フィリップ2世からの婚約の記念に贈られたものだそう。 豪華な衣装が大好きだった彼女、この華やかな「正装したドレスでエレガントで荘厳( elegant and magnificent)」 なご本人の絵の仕上がりにご満悦だったそう。

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