吉田 兼好 まとめ。 吉田兼好(よしだ けんこう)とは

吉田兼好とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

吉田 兼好 まとめ

吉田兼好 出典:Wikipedia 『徒然草』は、鎌倉時代末期に成立した吉田兼好の随筆です。 清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並ぶ 日本三大随筆の一つ。 序段を含めて244段から成っています。 有名な冒頭文に つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば (とりとめもなく手持ちぶさたなままに硯に向かい、心に浮かぶたわいないことを赴くままに一日中書いていたもの) と述べていますが、「たわいもないこと」は謙遜の言葉なので、兼好が本当にそう思っているのではなく、生きて行く上での気づきや伝えたいメッセージが綴られています。 ここに取り上げた名言は、随筆のなかのほんの一部分です。 一文だけでは本意がわかりにくい部分は、解説の中で補いながら味わってみたいと思います。 名言1. 「命は人を待つものかは」 音に聞くと、見る時とは何事も変るものなり (評判を聞くのと実際に見るのとでは、かなり違うものである) 『徒然草』第73段 これは「百聞は一見にしかず」に似て、少しニュアンスは違います。 「百聞は~」のほうは、「何度も聞くより、ちょっとでも見るほうが本当のことがよくわかる」から、自分の目で確かめなさい、という意味。 兼好がここで言っているのは、虚言や 流言飛語 りゅうげんひご(デマ)が多い世の中にあって、下世話な人の語る話は、刺激的だが信用ならない、ということ。 まともな人は怪し気なことを触れ歩いたりしないのだから、やたら人の興味をそそるようなデマは、 話し半分に聞いておきなさいというのです。 昔も今も変わらないな、と思いませんか。 名言3. 「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。 」 初心の人、二つの矢を持つことなかれ。 後の矢を頼みて、始めの矢に 等閑 とうかんの心あり (弓の初心者は、矢を射るとき二本の矢を持ってはならない。 ) 『徒然草』第92段 後の矢を頼りにして、最初の矢をいい加減にしてしまう。 ある弓の師匠が言ったことを兼好が紹介した言葉です。 甘えは、その時自分自身は気付かなくても、生まれることがあります。 次があると思うと微かに油断してしまいがちです。 「次はない」のだと思って、 その一瞬に全てを集中するべきだと説いています。 名言4. 「花は盛りに月は隈なきをのみ」 花は盛りに月は 隈 くまなきをのみ見るものかは (桜の花は満開の時だけ、月は満月の時だけに見るものだろうか? いやそうではない) 『徒然草』第137段 桜は満開の時、月は満月の時が一番だという思い込み。 そこへ兼好は、あえて彼独自の美意識で不完全なものへの気づきを訴えています。 これを後世、本居宣長が「人の心に逆らった、利口ぶった心の偽物の風流だ。 」と厳しく批評。 しかし、ここでは素直に兼好の言葉に注目します。 花の盛りや満月ばかりが美なのではなく、雨のために見えない月を思うこと、散った花びらがしおれて散らばった庭にも別種の美があると訴える兼好。 男女の恋もそれに似て、恋の終わったつらさや、守られない約束を嘆くこと、長い夜に遠くにいる恋人を思うことこそ恋の情緒とだと言うのです。 逢ってべったり二人で過ごすだけが恋ではないと。 それは求めるか求めないかに関わらず、私たちにも理解はできますね。 兼好の凄さは、皆がどこかで ぼんやりと感じていたことをあえて 文字に明確に記したところではないでしょうか。 名言5. 「第一の事を案じ定めて、」 第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし (第一のことを心に決めて、そのほかは気持ちを捨てて、その一つのことだけを励むべきだ) 『徒然草』第188段 この段では、兼好は法師になろうとする人の例で戒めます。 説教をしに出掛けられるように、まず馬にのることを習い、仏事のあとの酒を飲む機会に披露する芸事を習っているうちに肝心の説教を習うヒマがなくなって年老いた、という本末転倒の話しです。 余計なことに囚われていると、結局一芸に優れた者になれず、思ったように立身出世もできず、後悔しても取り返しの付かない年齢になってしまうのです。 目標を定めたらそれ 一つに集中して、他は捨てる勇気が必要です。 せめて一つを成し遂げよ、という兼好の言葉に耳が痛い思いをするのは一人や二人ではないはずです。 特別枠「よき友三つあり。 」 よき友三つあり。 一つには物くるる友。 二つには 医師 くすし。 三つには智恵ある友 『徒然草』第117段 この言葉には、現代訳は必要ないでしょう。 なんだか笑ってしまいませんか。 確かに、個々に挙げられた3つのタイプの友人は、とっても役に立ってくれそうな実用的なタイプばかり。 この文章の前には、悪い友の7つのタイプの例が挙げられており、それの反対の例として続く文です。 間違いとは言いませんが、いずれも直接的・即物的なかんじです。 この兼好の正直さに親しみさえ感じてしまいます。 「あなたはとてもいい友達よ。 だって色んな物をくれるもの」 これを公言して、あなたの交友関係に問題が生じないという保証は致しかねますが。 おわりに 兼好の名言は、大上段に構えた大袈裟なものではありませんが、 ふと気付いたことが丁寧に綴られ、キラリと光るセンスが見えます。 そこに共感するも反発するも人それぞれ。 でもそれが人の生き方について考えるきっかけになれば兼好も本望なのではないでしょうか。 吉田兼好の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。 関連記事 >>>> その他の人物はこちら 鎌倉時代に活躍した歴史上の人物 関連記事 >>>> 時代別 歴史上の人物 関連記事 >>>>.

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『徒然草』に見る吉田兼好の名言5選+1

吉田 兼好 まとめ

吉田兼好 出典:Wikipedia 『徒然草』は、鎌倉時代末期に成立した吉田兼好の随筆です。 清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並ぶ 日本三大随筆の一つ。 序段を含めて244段から成っています。 有名な冒頭文に つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば (とりとめもなく手持ちぶさたなままに硯に向かい、心に浮かぶたわいないことを赴くままに一日中書いていたもの) と述べていますが、「たわいもないこと」は謙遜の言葉なので、兼好が本当にそう思っているのではなく、生きて行く上での気づきや伝えたいメッセージが綴られています。 ここに取り上げた名言は、随筆のなかのほんの一部分です。 一文だけでは本意がわかりにくい部分は、解説の中で補いながら味わってみたいと思います。 名言1. 「命は人を待つものかは」 音に聞くと、見る時とは何事も変るものなり (評判を聞くのと実際に見るのとでは、かなり違うものである) 『徒然草』第73段 これは「百聞は一見にしかず」に似て、少しニュアンスは違います。 「百聞は~」のほうは、「何度も聞くより、ちょっとでも見るほうが本当のことがよくわかる」から、自分の目で確かめなさい、という意味。 兼好がここで言っているのは、虚言や 流言飛語 りゅうげんひご(デマ)が多い世の中にあって、下世話な人の語る話は、刺激的だが信用ならない、ということ。 まともな人は怪し気なことを触れ歩いたりしないのだから、やたら人の興味をそそるようなデマは、 話し半分に聞いておきなさいというのです。 昔も今も変わらないな、と思いませんか。 名言3. 「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。 」 初心の人、二つの矢を持つことなかれ。 後の矢を頼みて、始めの矢に 等閑 とうかんの心あり (弓の初心者は、矢を射るとき二本の矢を持ってはならない。 ) 『徒然草』第92段 後の矢を頼りにして、最初の矢をいい加減にしてしまう。 ある弓の師匠が言ったことを兼好が紹介した言葉です。 甘えは、その時自分自身は気付かなくても、生まれることがあります。 次があると思うと微かに油断してしまいがちです。 「次はない」のだと思って、 その一瞬に全てを集中するべきだと説いています。 名言4. 「花は盛りに月は隈なきをのみ」 花は盛りに月は 隈 くまなきをのみ見るものかは (桜の花は満開の時だけ、月は満月の時だけに見るものだろうか? いやそうではない) 『徒然草』第137段 桜は満開の時、月は満月の時が一番だという思い込み。 そこへ兼好は、あえて彼独自の美意識で不完全なものへの気づきを訴えています。 これを後世、本居宣長が「人の心に逆らった、利口ぶった心の偽物の風流だ。 」と厳しく批評。 しかし、ここでは素直に兼好の言葉に注目します。 花の盛りや満月ばかりが美なのではなく、雨のために見えない月を思うこと、散った花びらがしおれて散らばった庭にも別種の美があると訴える兼好。 男女の恋もそれに似て、恋の終わったつらさや、守られない約束を嘆くこと、長い夜に遠くにいる恋人を思うことこそ恋の情緒とだと言うのです。 逢ってべったり二人で過ごすだけが恋ではないと。 それは求めるか求めないかに関わらず、私たちにも理解はできますね。 兼好の凄さは、皆がどこかで ぼんやりと感じていたことをあえて 文字に明確に記したところではないでしょうか。 名言5. 「第一の事を案じ定めて、」 第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし (第一のことを心に決めて、そのほかは気持ちを捨てて、その一つのことだけを励むべきだ) 『徒然草』第188段 この段では、兼好は法師になろうとする人の例で戒めます。 説教をしに出掛けられるように、まず馬にのることを習い、仏事のあとの酒を飲む機会に披露する芸事を習っているうちに肝心の説教を習うヒマがなくなって年老いた、という本末転倒の話しです。 余計なことに囚われていると、結局一芸に優れた者になれず、思ったように立身出世もできず、後悔しても取り返しの付かない年齢になってしまうのです。 目標を定めたらそれ 一つに集中して、他は捨てる勇気が必要です。 せめて一つを成し遂げよ、という兼好の言葉に耳が痛い思いをするのは一人や二人ではないはずです。 特別枠「よき友三つあり。 」 よき友三つあり。 一つには物くるる友。 二つには 医師 くすし。 三つには智恵ある友 『徒然草』第117段 この言葉には、現代訳は必要ないでしょう。 なんだか笑ってしまいませんか。 確かに、個々に挙げられた3つのタイプの友人は、とっても役に立ってくれそうな実用的なタイプばかり。 この文章の前には、悪い友の7つのタイプの例が挙げられており、それの反対の例として続く文です。 間違いとは言いませんが、いずれも直接的・即物的なかんじです。 この兼好の正直さに親しみさえ感じてしまいます。 「あなたはとてもいい友達よ。 だって色んな物をくれるもの」 これを公言して、あなたの交友関係に問題が生じないという保証は致しかねますが。 おわりに 兼好の名言は、大上段に構えた大袈裟なものではありませんが、 ふと気付いたことが丁寧に綴られ、キラリと光るセンスが見えます。 そこに共感するも反発するも人それぞれ。 でもそれが人の生き方について考えるきっかけになれば兼好も本望なのではないでしょうか。 吉田兼好の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。 関連記事 >>>> その他の人物はこちら 鎌倉時代に活躍した歴史上の人物 関連記事 >>>> 時代別 歴史上の人物 関連記事 >>>>.

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吉田茂とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

吉田 兼好 まとめ

吉田兼好 出典:Wikipedia 『徒然草』は、鎌倉時代末期に成立した吉田兼好の随筆です。 清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並ぶ 日本三大随筆の一つ。 序段を含めて244段から成っています。 有名な冒頭文に つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば (とりとめもなく手持ちぶさたなままに硯に向かい、心に浮かぶたわいないことを赴くままに一日中書いていたもの) と述べていますが、「たわいもないこと」は謙遜の言葉なので、兼好が本当にそう思っているのではなく、生きて行く上での気づきや伝えたいメッセージが綴られています。 ここに取り上げた名言は、随筆のなかのほんの一部分です。 一文だけでは本意がわかりにくい部分は、解説の中で補いながら味わってみたいと思います。 名言1. 「命は人を待つものかは」 音に聞くと、見る時とは何事も変るものなり (評判を聞くのと実際に見るのとでは、かなり違うものである) 『徒然草』第73段 これは「百聞は一見にしかず」に似て、少しニュアンスは違います。 「百聞は~」のほうは、「何度も聞くより、ちょっとでも見るほうが本当のことがよくわかる」から、自分の目で確かめなさい、という意味。 兼好がここで言っているのは、虚言や 流言飛語 りゅうげんひご(デマ)が多い世の中にあって、下世話な人の語る話は、刺激的だが信用ならない、ということ。 まともな人は怪し気なことを触れ歩いたりしないのだから、やたら人の興味をそそるようなデマは、 話し半分に聞いておきなさいというのです。 昔も今も変わらないな、と思いませんか。 名言3. 「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。 」 初心の人、二つの矢を持つことなかれ。 後の矢を頼みて、始めの矢に 等閑 とうかんの心あり (弓の初心者は、矢を射るとき二本の矢を持ってはならない。 ) 『徒然草』第92段 後の矢を頼りにして、最初の矢をいい加減にしてしまう。 ある弓の師匠が言ったことを兼好が紹介した言葉です。 甘えは、その時自分自身は気付かなくても、生まれることがあります。 次があると思うと微かに油断してしまいがちです。 「次はない」のだと思って、 その一瞬に全てを集中するべきだと説いています。 名言4. 「花は盛りに月は隈なきをのみ」 花は盛りに月は 隈 くまなきをのみ見るものかは (桜の花は満開の時だけ、月は満月の時だけに見るものだろうか? いやそうではない) 『徒然草』第137段 桜は満開の時、月は満月の時が一番だという思い込み。 そこへ兼好は、あえて彼独自の美意識で不完全なものへの気づきを訴えています。 これを後世、本居宣長が「人の心に逆らった、利口ぶった心の偽物の風流だ。 」と厳しく批評。 しかし、ここでは素直に兼好の言葉に注目します。 花の盛りや満月ばかりが美なのではなく、雨のために見えない月を思うこと、散った花びらがしおれて散らばった庭にも別種の美があると訴える兼好。 男女の恋もそれに似て、恋の終わったつらさや、守られない約束を嘆くこと、長い夜に遠くにいる恋人を思うことこそ恋の情緒とだと言うのです。 逢ってべったり二人で過ごすだけが恋ではないと。 それは求めるか求めないかに関わらず、私たちにも理解はできますね。 兼好の凄さは、皆がどこかで ぼんやりと感じていたことをあえて 文字に明確に記したところではないでしょうか。 名言5. 「第一の事を案じ定めて、」 第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし (第一のことを心に決めて、そのほかは気持ちを捨てて、その一つのことだけを励むべきだ) 『徒然草』第188段 この段では、兼好は法師になろうとする人の例で戒めます。 説教をしに出掛けられるように、まず馬にのることを習い、仏事のあとの酒を飲む機会に披露する芸事を習っているうちに肝心の説教を習うヒマがなくなって年老いた、という本末転倒の話しです。 余計なことに囚われていると、結局一芸に優れた者になれず、思ったように立身出世もできず、後悔しても取り返しの付かない年齢になってしまうのです。 目標を定めたらそれ 一つに集中して、他は捨てる勇気が必要です。 せめて一つを成し遂げよ、という兼好の言葉に耳が痛い思いをするのは一人や二人ではないはずです。 特別枠「よき友三つあり。 」 よき友三つあり。 一つには物くるる友。 二つには 医師 くすし。 三つには智恵ある友 『徒然草』第117段 この言葉には、現代訳は必要ないでしょう。 なんだか笑ってしまいませんか。 確かに、個々に挙げられた3つのタイプの友人は、とっても役に立ってくれそうな実用的なタイプばかり。 この文章の前には、悪い友の7つのタイプの例が挙げられており、それの反対の例として続く文です。 間違いとは言いませんが、いずれも直接的・即物的なかんじです。 この兼好の正直さに親しみさえ感じてしまいます。 「あなたはとてもいい友達よ。 だって色んな物をくれるもの」 これを公言して、あなたの交友関係に問題が生じないという保証は致しかねますが。 おわりに 兼好の名言は、大上段に構えた大袈裟なものではありませんが、 ふと気付いたことが丁寧に綴られ、キラリと光るセンスが見えます。 そこに共感するも反発するも人それぞれ。 でもそれが人の生き方について考えるきっかけになれば兼好も本望なのではないでしょうか。 吉田兼好の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。 関連記事 >>>> その他の人物はこちら 鎌倉時代に活躍した歴史上の人物 関連記事 >>>> 時代別 歴史上の人物 関連記事 >>>>.

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