愛知 トリエンナーレ 問題。 津田大介氏、あいちトリエンナーレ問題を語る。「組織化されたテロ行為」「展示再開はハードル高い」

「あいちトリエンナーレ2019」~メディアが報道しない“問題の本質”

愛知 トリエンナーレ 問題

— 2019年 9月月14日午前12時25分PDT トリエンナーレ triennale とは、イタリア語で3年に一度、3年ごとという意味になります。 つまりトリエンナーレは、「3年に一度開催される大規模な芸術祭」のことを指しているのです。 世界的にみるとトリエンナーレの開催数はビエンナーレに劣りますが、日本ではトリエンナーレの数の方が多いです。 最近だと話題のあいちトリエンナーレや、来年には横浜トリエンナーレが開催予定になっています。 ちなみにトリエンナーレと一緒によく聞くビエンナーレ biennale は、イタリア語で2年に一度、2年周期という意味です。 いわゆる隔年制で、2年に一度開催される大規模な芸術祭のことを言います。 二つの祭典、まとめると「国際的な芸術作品の展示会・芸術祭」のことを指します。 ビエンナーレと同様、トリエンナーレも世界各地で開催されていますので、是非調べてみてください。 あいちトリエンナーレの見どころ さて、今年大きな話題になった「あいちトリエンナーレ」。 まずは分かりやすく見どころを紹介していこうと思います。 あいちトリエンナーレは、2010年から3年ごとに開催されている国内最大規模の国際芸術祭です。 2019年の今年で4回目になります。 名古屋市と豊田市の美術館を中心とした4エリアにて、国際現代美術展のほか、映像プログラム、パフォーミングアーツ、音楽プログラムなどを実施しています。 国内外から90組以上のアーティストを迎え、様々な表現を横断する最先端の芸術作品を見ることができます。 そして今回のあいちトリエンナーレのテーマは「情の時代」。 マスメディアでは取り上げることのできない、かなりセンシティブな、刺激的なメッセージを持つ作品が多く展示されています。 テーマがテーマなので、全ての作品が非常に強いメッセージを持ちそこに存在しています。 見る人の感情や神経を逆撫でする作品がほとんどではないでしょうか。 私たちが日常的に多くの情報に左右される中で普段は感じないように制御している感情が、ドッと溢れ出てくる作品がかなり多いです。 見終わるころには疲労感とは別の類の疲れがきます。 — 2019年10月月1日午前3時30分PDT しかし、それでも「感情を揺さぶられること」こそが、アートを鑑賞する醍醐味であり非常に大切なことなのです。 この作品の中の人物は何を考えているんだろう、作者はどういった思いでこの作品を作ろうとしたのだろう、何を伝えたかったのだろう、などの様々な考えが展示作品全てに対して浮かんできます。 あいちトリエンナーレ2019は 作品とその作品が持つメッセージを、その場で直に、生きているこの瞬間に、感じることができる祭典になっています。 観るタイミングによって、感じ方が全然違ってくることも魅力のひとつ。 また今回のあいちトリエンナーレは、芸術監督者にも注目していただきたい。 ジャーナリストである津田大介さんが芸術監督を担っています。 テレビや雑誌などでよく見かけますよね。 政治や災害、戦争、地域課題の解決に対し真摯に向き合ってきた方なので、今回の「情の時代」という強いメッセージが込めらていることに期待が高まります。 ジャーナリストを起用することに意味があるように思います。 次に会場別の見どころを紹介していきます。 展示会場となる4エリアは以下になります。 【愛知芸術文化センター】 — 2019年10月月1日午前3時32分PDT 名古屋駅から一番近いエリアになります。 外のエリアとは一変し、舞台は街中。 民家や蔵での展示といった、アートと街が一体となった作品展示となっています。 街中アートなので展示場所がいくつもあります。 街を散策しながら楽しむことができるので、愛知での開催を一番実感できるエリアになっていると思います。 それぞれの作品は、やはりテーマに沿ったものばかりなので、終始「楽しく」鑑賞するというのは難しいかもしれません。 それでも人間の葛藤の味わう作品や、交通事故を題材とした作品、戦争による街の再現作品など、「目を背けてはいけない」と訴えてくるような作品が数多く展示されているので、このエリアは是非オススメです。 【豊田市美術館・豊田市駅周辺】 — 2019年 8月月7日午前1時55分PDT みなさん、もうご存知の方もいるかと思います。 あいちトリエンナーレのうち、《平和の少女像》などを展示した企画展『表現の不自由展・その後』が、開催から3日間で中止に追い込まれました。 愛知芸術文化センター8階の奥まった場所に、『表現の不自由展・その後』は設けられていました。 この『表現の不自由展・その後』では、さまざまな理由から国内の美術館での作品展示が不許可になった作品を展示していました。 撤去された作品の実物とともにその経緯を鑑賞することで、「議論が分かれる『表現の自由』という現代的な問題について議論するきっかけを作る」ことを目的としていたようです。 参加作家は16組。 慰安婦問題を扱う作品のほか、憲法9条、昭和天皇や戦争、米軍基地、原発、人種差別などのテーマ性を含む作品が展示されていました。 この企画展は初日はとても穏やかに賑わいを見せていました。 《平和の少女像》はインスタレーション的な作品となっており、空席になっている少女像の隣に座って自撮り写真を撮る人もいました。 しかし開催2日目から状況が一転します。 《平和の少女像》をはじめとした慰安婦や、昭和天皇を題材にした作品がネット上で「大炎上」し、2日目には名古屋市長の河村たかし氏が同展を視察するなどの騒動に発展。 作品への苦言や批判、反日作品に対しての過剰なコメント、ついにはあいちトリエンナーレの運営に対して脅迫行為を行う人まで出てきました。 来観者を守るためにも、批判に対する苦渋の決断で企画展を中止し、作品の撤去を行いました。 以降、入り口は扉で仕切られ、照明も消され、入り口の手前には作者のコメントと共に展示中止の注意書きが提示されています。 昨今の社会情勢から私たち人類が直面している問題について、「情」をもってして今一度、アート本来の領域や世の中の現状を見つめ直す大切な展示会になっています。 会場:名古屋市と豊田市の4つのエリア• 会期:2019年8月1日(木)~2019年10月14日(月・祝)• 最寄り:• [愛知芸術文化センター] 地下鉄:東山線または名城線「栄」駅下車、徒歩3分(オアシス21から地下連絡通路または2F連絡橋経由)• [名古屋市美術館] 地下鉄:地下鉄東山線・鶴舞線「伏見」下車 5番出口から南へ徒歩8分、地下鉄鶴舞線「大須観音」下車 2番出口から北へ徒歩7分、地下鉄名城線「矢場町」下車 4番出口から西へ徒歩10分• [四間道・円頓寺] 地下鉄:桜通線「国際センター」駅下車 徒歩約5分、桜通線・鶴舞線「丸の内」駅下車 徒歩約5分 名古屋駅から徒歩約15分• [豊田市美術館・豊田市駅周辺] 豊田市美術館 徒歩:名鉄豊田市駅または愛知環状鉄道新豊田駅より約800m、約15分• 【名古屋駅へのアクセス】 東京からJR東海道新幹線「のぞみ」で約1時間40分 新大阪から約50分 中部国際空港セントレア・県営名古屋空港から約30分• 企画概要:国際現代美術展、音楽プログラム、パフォーミングアーツ、映像プログラム、ラーニング ほか 芸術監督:津田大介 ジャーナリスト/メディア・アクティビスト 主催:あいちトリエンナーレ実行委員会 作品展示数も展示会場の数も多いため、しっかり見て回るには2~3日間必要になります。 また、会場間シャトルとしてラッピングカートが運行しています。

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あいちトリエンナーレ2019では今何が起こっているのか。

愛知 トリエンナーレ 問題

「あいちトリエンナーレ」における問題から考える 「あいちトリエンナーレ」における問題から考える 2019. この美術祭の開催にあたり、注目を集めていたのが「表現の不自由展・その後」でした。 同展示においては開催前から、いわゆる慰安婦問題を象徴する少女像の存在や、昭和天皇の御真影が燃やされる動画の展示などに、抗議の声があがっていました。 結局、「表現の不自由展・その後」は8月3日をもって展示が中止となりました。 筆者はその前日の8月2日に現地に行き、中止される前の展示をみてきました。 この展示の中止は、同展示に対して「大至急撤去しろ。 さもなくばガソリン携行缶を持っておじゃまする」などと書かれたFAXが会場である県美術館に送られるなどしたことが直接の原因とされています。 (その後、威力業務妨害の疑いで50代の男が逮捕されました) 当然のことながら、このような脅迫行為は許されるものではありません。 その上で、展示を見てきた筆者自身の見解を述べたいと思います。 あいちトリエンナーレは愛知県や名古屋市などから公金が投じられて開催される美術祭であり、公共の福祉に資するものなのか、国民からの厳しいチェックを受けるのは当然のことです。 今回の件について、例えば朝日新聞の8月6日付の社説では「『表現の自由』が大きく傷つけられた」として批判していますが、そもそも昭和天皇の御真影を燃やす動画などが美術作品と言えるのか甚だ疑問に感じます。 ましてや公金が投じられる美術祭において、このような日本国民の心を傷つける展示が許されるべきであったのか。 当初これらの展示を容認した愛知県の対応には強い疑問を感じるところです。 HS政経塾卒塾生で美術関係に詳しい坂本麻貴氏によると「だんだん文化が豊かになるにつれ、工芸として装飾や肖像画、風景画などの需要が大きくなっていった。 そして写真や印刷技術の向上によって、特に平面絵画の存在価値が問われるようになる流れの中で、マルセル・デュシャンが『泉』という作品を発表し、現代美術では『表現の新しさ』『表現の多様性』を求める作品が主流になった。 多様な作品が作られ、多様な議論があり、美術とは何なのかが模索される過程は大事だが、『奇抜さ』『人がやらないこと』『タブーを敢えて実行する』事が現代美術の価値かのようになっている事が現代美術の大きな問題」と言います。 少女像の説明書きには「『慰安婦』被害者」と日本語で書かれてあるのみならず、その下の英語訳での説明書きには「the victims of the Japanese military sexual slavery」と書かれており、これは直訳すれば「日本軍の性奴隷制の被害者」となります。 しかし、いわゆる「従軍慰安婦」などという日本軍による性奴隷制度など存在しなかったのは明らかなはずです。 政府の公式見解でも、日本軍による性奴隷制度の存在など認めていません。 このような巧妙な政治的なプロパガンダがなされている、非常に反日的展示であったと感じられました。 しかし、何よりも問題なのはそれらが公金を投じた美術祭における展示であったことではないでしょうか。 これでは公権力によるお墨付きを与えたと捉えられかねません。 日本国の象徴であり日本国民統合の象徴の御真影を「燃やす」ことは、天皇陛下のみならず日本国および日本国民へのヘイト行為ではないでしょうか。 さらに考えさせられたのは、天皇陛下とは宗教的ご存在でもあるということです。 確かに、戦後は昭和天皇によるいわゆる人間宣言もあり、天皇陛下御自身は信仰対象ではないかもしれません。 しかし日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると同時に、父方をたどれば天照大神様につながる日本神道の最高神官としてのお姿を通じて、日本国民の信仰観を感じることができるご存在が天皇陛下であられるのではないでしょうか。 私自身、幸福の科学の信仰を持つ者として、そして日頃より天皇陛下は宗教的ご存在だと考える者として、その御真影が燃やされる様子を「美術作品だ」「表現の自由だ」と公金を投じた美術祭に展示されていることに対して、逆にわが国における「信教の自由」の脆弱性が現れている気がしてなりませんでした。 例えば、もし、世界宗教の開祖や、宗教指導者、他国の国家元首等の写真や肖像画を燃やす映像を作品として持ち込まれていた場合、それを展示することを許容したのでしょうか。 大村知事には、表現の自由を言う前に、自らの善悪の価値判断の甘さを考えていただきたいと思います。

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「あいちトリエンナーレ」閉幕 昭和天皇の肖像を燃やし、足で踏み付ける映像作品…各メディアはどう表現した? 竹田恒泰氏「昭和天皇は私の親戚、深く傷ついた」 (1/2ページ)

愛知 トリエンナーレ 問題

「あいちトリエンナーレ」における問題から考える 「あいちトリエンナーレ」における問題から考える 2019. この美術祭の開催にあたり、注目を集めていたのが「表現の不自由展・その後」でした。 同展示においては開催前から、いわゆる慰安婦問題を象徴する少女像の存在や、昭和天皇の御真影が燃やされる動画の展示などに、抗議の声があがっていました。 結局、「表現の不自由展・その後」は8月3日をもって展示が中止となりました。 筆者はその前日の8月2日に現地に行き、中止される前の展示をみてきました。 この展示の中止は、同展示に対して「大至急撤去しろ。 さもなくばガソリン携行缶を持っておじゃまする」などと書かれたFAXが会場である県美術館に送られるなどしたことが直接の原因とされています。 (その後、威力業務妨害の疑いで50代の男が逮捕されました) 当然のことながら、このような脅迫行為は許されるものではありません。 その上で、展示を見てきた筆者自身の見解を述べたいと思います。 あいちトリエンナーレは愛知県や名古屋市などから公金が投じられて開催される美術祭であり、公共の福祉に資するものなのか、国民からの厳しいチェックを受けるのは当然のことです。 今回の件について、例えば朝日新聞の8月6日付の社説では「『表現の自由』が大きく傷つけられた」として批判していますが、そもそも昭和天皇の御真影を燃やす動画などが美術作品と言えるのか甚だ疑問に感じます。 ましてや公金が投じられる美術祭において、このような日本国民の心を傷つける展示が許されるべきであったのか。 当初これらの展示を容認した愛知県の対応には強い疑問を感じるところです。 HS政経塾卒塾生で美術関係に詳しい坂本麻貴氏によると「だんだん文化が豊かになるにつれ、工芸として装飾や肖像画、風景画などの需要が大きくなっていった。 そして写真や印刷技術の向上によって、特に平面絵画の存在価値が問われるようになる流れの中で、マルセル・デュシャンが『泉』という作品を発表し、現代美術では『表現の新しさ』『表現の多様性』を求める作品が主流になった。 多様な作品が作られ、多様な議論があり、美術とは何なのかが模索される過程は大事だが、『奇抜さ』『人がやらないこと』『タブーを敢えて実行する』事が現代美術の価値かのようになっている事が現代美術の大きな問題」と言います。 少女像の説明書きには「『慰安婦』被害者」と日本語で書かれてあるのみならず、その下の英語訳での説明書きには「the victims of the Japanese military sexual slavery」と書かれており、これは直訳すれば「日本軍の性奴隷制の被害者」となります。 しかし、いわゆる「従軍慰安婦」などという日本軍による性奴隷制度など存在しなかったのは明らかなはずです。 政府の公式見解でも、日本軍による性奴隷制度の存在など認めていません。 このような巧妙な政治的なプロパガンダがなされている、非常に反日的展示であったと感じられました。 しかし、何よりも問題なのはそれらが公金を投じた美術祭における展示であったことではないでしょうか。 これでは公権力によるお墨付きを与えたと捉えられかねません。 日本国の象徴であり日本国民統合の象徴の御真影を「燃やす」ことは、天皇陛下のみならず日本国および日本国民へのヘイト行為ではないでしょうか。 さらに考えさせられたのは、天皇陛下とは宗教的ご存在でもあるということです。 確かに、戦後は昭和天皇によるいわゆる人間宣言もあり、天皇陛下御自身は信仰対象ではないかもしれません。 しかし日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると同時に、父方をたどれば天照大神様につながる日本神道の最高神官としてのお姿を通じて、日本国民の信仰観を感じることができるご存在が天皇陛下であられるのではないでしょうか。 私自身、幸福の科学の信仰を持つ者として、そして日頃より天皇陛下は宗教的ご存在だと考える者として、その御真影が燃やされる様子を「美術作品だ」「表現の自由だ」と公金を投じた美術祭に展示されていることに対して、逆にわが国における「信教の自由」の脆弱性が現れている気がしてなりませんでした。 例えば、もし、世界宗教の開祖や、宗教指導者、他国の国家元首等の写真や肖像画を燃やす映像を作品として持ち込まれていた場合、それを展示することを許容したのでしょうか。 大村知事には、表現の自由を言う前に、自らの善悪の価値判断の甘さを考えていただきたいと思います。

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